書くべきことはあるのだが、書くことができない

まあ、個人的な問題なので、考察するほどのことでもないのだが、ほかにできることもないのでタイプしておく。
まず、「べき」という意味については、社会的=他者視点における価値判断をした上で必要性があるということではなく、自分にとって必要なこと、自分が今突っ込んでいる息詰まる霧の中においてそれを晴らすための切り裂く行為が必要であるということ。
そして、「できない」という意味は、先にも書いたが第一にはタイミングである。
しかし、そもそもそのタイミングというものには、それを形成する環境というものが前提として必要となる。
その基本的な前提となる環境が、猫がひざに乗ってくるからとかそういうレベルまでも含めて、今の自分の中では否定するべくもなく「欠けた」状態にあり、また、あり続けている。
もちろん、天啓のごとく訪れる断片というものはあるのだが、それを拾う作業と、それをまとめる作業が一致しない。
続けなければ存在価値を失うブログという地獄のなんと恐ろしいことよ。
いっそブクマを止めて、全部ニュース批評としてブログに書き込んでしまえば当座はしのげるのか。
あるいは、そうかもしれないしそう「かも」しれない。