遺伝子の差異の差異〜id:dankogaiに憂鬱〜


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「気持ちさえあればなんでも変わる」「気持ちこそが何もかもを変える」と言う子飼弾梅田望夫は、ホント、似た者同士なんだなと思う。
生存環境と肉体環境に恵まれたものは、それ以外の条件を認知しないということか。
そういえば、いつだったかの深夜のオフ会で「子供作らなきゃ人間じゃない」とか「恋愛しないヤツは精神的に弱すぎる」とか言ってた金持ち父さんがいましたっけね。


自説の展開のためのダシにされただけなんで反応するだけ無駄なんだが、それでもやっぱり言っておこう。
なにしろことごとく間違ってると思うので、いちいち指摘していく。



dankogai!あんたは間違っている!」*2



ますひとつ。

ヒトの行動の決定要因における遺伝子の比較劣位。
もしどれだけ子をなすかが遺伝的要因で決まっているのだとしたら、子だくさんの一家に生まれた子供も子だくさんになるはずだが、そうはなっていない。
先進国を見ると、祖父母は8人兄弟、父母は4人兄弟、自分は2人兄弟という例ばかり。
わずか三代でこうなるというのは、遺伝的要因以外にもっと強い因子がなければ説明できない。


確かに、この人口減という問題は、「遺伝的要因以外にもっと強い因子がなければ説明できない」。
だがそれを、意伝子(meme)などという「心の問題」にするなどと、まさに悪しき「心理主義」の典型だというほかない。
人口減を説くなら、環境問題として説いた方がまだ、オカルトじみたものにならないだけマシだ。


第二次大戦での敗戦後、大量の引き上げ者が一斉に大量の子供を作るようになったことで、政治経済の復興が人口爆発に追いつかなくなった。
それがために、「家族計画運動」の名で「産児調整」*3がなされた。
団塊世代には3人以上の兄弟が多く見られるのに対して、団塊jr世代には2人がほぼ兄弟の上限になっているのがその結果である。
これには労働環境の変化も大きい。
義務教育修了のみの学歴で十分社会人となれた「中卒は金の卵」の時代から、高度成長期以降の経済活動の高度化、複雑化によって、中卒程度では一般的に働くことが困難になり、子供一人当たりの教育コストが上昇し、そのことが産児数をソフトに制限することにもなった。
その影で、日本の人口が増加してきたのは、団塊世代=親世代の人口量が子世代の人口量のベースを水増しするという「人口ボーナス」効果によって、である。
しかし、その「ボーナス」を生み出す世代が子作りから後退し、3人兄弟メインから2人兄弟メインへと数が縮小した世代が親世代となることで、人口量は一気に反転収束へと向かった。
そして、さらなる育児コストの増大が影響し、子供の数は2人が上限から、さらに1人っ子世帯があたりまえになるまで拡大することになり、さらに言えば、子供の代わりに犬を飼う夫婦も珍しいものではなくなり、今のような「半減期」といっていい加速度的な人口減の時代になったのである。


これらの物理的、社会的、環境的な問題をあいまいにして、ここに「心の問題」があるなどというから、マチガイなのだ。
せめて、「自らの生存環境との相互作用で発生した考え」による影響というべきで、「意伝子(meme)」なんていう耳障りだけはいい、中身のきわめてあいまいな単語を持ち出して何をか説くというのは、「ゲーム脳」と何ら代わりがない。


で、そこから少し脱線すると、これこそが「現代の問題」となっている若者の「弱体化」や「軟弱化」といった「変化」の原因となっていると思われる。
当たり前になりすぎてもはや問題にも上らなくなっているこの「核家族化」とは、すなわち「他人の最小単位としての家族」の縮小である。
兄弟を含めて5人以上、親戚縁者を含めれば優に10人以上の生存環境を常としてきた世代から、3人から4人という数での生存環境を常とする世代への「変化」こそが、人間精神の変化の最大の要因なのである。
「親の数」、「親の兄弟の数」を選べない子供にのみ、その責めを負わせようとする「世間」の開きめくら具合には、心底あきれ果てる。
いや、自分たちの責任を否定し、マンガやゲームやインターネットなどという「わかりやすい悪」を糾弾することで自らへの「癒し」とし、その挙句、憲法改正にまで向かうのだからこれはもう狂気と呼んでいいだろう。
人が生育過程で否応なしに関わる「家族」という「他人」。
それこそが、千差万別*4、千変万化*5、千錯万綜*6な、「他人」=人間精神のサンプルであり、その基本パターンの認知数こそがその後のバリエーション=柔軟性、想像性のベースになるのだ。
その人間精神のベースを自ら削っておいて、その「結果」だけを子供・若者に負わせようという「世間」の愚かさ。
意伝子(meme)」なんてなガジェットタームは、それを補強するだけの機能しか持たない。



もうひとつ。

ところが、その子孫がオタになる公算の方が大きかったりするのだ。

(略)

ヒトにおいても、「モテ遺伝子」というのは確かにありはするのだろう。容姿端麗であることとか、健康であることとか。しかし今やこうしたことすら、意伝子の力で改変できる。

さっぱり要点を得ないが、「オタクがモテる時代が来る」とでもいいたいのだろうか?
意伝子の力で改変できる」というのは実にロジャーズ的というか、NLP的というか、自己啓発的に正しいロジックなのだろうけど、その効果を認めるとしても、それはあくまで個人の内面の問題(であるとするゆがんだ社会環境認知)だからだろうに。
「モテ」という、他人の精神に基づく現象を自分の「意思」で変えられるなどと、とんだ「セカイ系」話だ。
さらに言えば、オタク的な性格とは先天的なもの、つまり遺伝子的な問題である可能性が高いのだが、それでも、「意志の力」を説くのだろうか。
ならば、それこそ暴力的な「平等」の論理だ。
数の力と金の力と情報の力で差異を押しつぶして出来上がった「平等」だ。



で、最期のヨタの部分。

にもかかわらずこうした一子はおろか一発をも忘れた人々というのは「超モテ」なのである。ニュートンだのキリストだのというのはその極北で、彼らは遺伝子を犠牲にして意伝子をバラマキまくった人々だと言える。


これには一言だけ言っておこう。

ビル・ゲイツアスペルガー者だが、アスペルガー者はビル・ゲイツではない。


最後の最後に矛盾を指摘するなら、

もしかして、ヒトの過剰な性欲というのは、意伝子優位のきっかけとならなかったのだろうか?ヒト、特にオスは一子より一発に飢えた生き物である。欲求は一子を得たときではなく一発を得たときに収まる。一子ではなく一発に対して個体を最適化しようとしたらどうする?


これが、「ありえない」といった、「人類がクジャク化すること」なんじゃないの?
だから、DQNとイケメンだけが生き残るってハナシですよ。



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*1:今のブログデザインはリンク先が地の文に埋もれて目立たなさ過ぎて困る。だもんで<<>>こんなのをつけなきゃならない

*2:お、なんかピッタリ来た

*3:ちなみに、これを強制すると「産児制限」となり、中国の「一人っ子政策」のようになる

*4:ことごとくに異なり

*5:ことごとくに変わり

*6:ことごとくに混乱した