ネットの力を信じたけど何かおかしかったらしい(256ポイント分追記+128ポイント分追記+666ポイント分追記)

ネコプロトコル - ネットの力を信じるのは別におかしかない。
http://d.hatena.ne.jp/nekoprotocol/20070605/1181036329


まあ、端的に言えば、私は去年夏の「クリルタイ」には参加していましたが、今年どこかで行われる「クリルタイ2.0」の活動には一切関わっていないという点です。しかも、そのこと自体を知ったのが(ゴクリ)ごくごくつい最近。それまでホントに本気でまったく知りませんでした。しかも、参加者と思しき面々を見ていると、いやまったく一人を除いてすっかりそっくり総ざらえってな感じの大幅改装再開店。面白そうな人がよく参加されてるというか、翼賛化されてるというか。まあもともと「クリルタイ」という名称を選ぶセンスは僕のものではないので、
一体誰のセンスかというとそれは歴史系の専攻を選択していた諸子百家東京ブロガーズが決めたことなので、私個人はむしろ最初からのっかりはてなだったわけです。それがなにやらどうしたことか、なぜかリーダーじみた立場に流され立たされていたというのが、そもそもの問題の
元だったのでしょうか。あるいはそうかもしれません。しかし、より根源的な部分に目を向けるのならば、私個人に由来する先天的な能力の欠如、後天的な技能の未熟さでありましょう。それを言い変えれば、私は正真正銘のアウトサイダーであって、よくてせいぜいフォロワーであって、リーダーでもないし、ましてやパイオニアなどではないし、あまつさえチャレンジャーでももちろんないということです。これすら既に「言い訳」であり、問題の責めを問う権利をもつ人から見れば、嘲笑侮蔑の極みなのでしょうけれとも、自分の責を省みるにやはりそこは避けては通れない部分なのです。思い起こせば幼稚園の頃から私は4〜5人以上のグループに所属したことがなく、ましてやそこでリーダー的な存在になるなどということはありませんでした。いや、リーダー的な存在が存在しないグループにいたといったほうがいいかもしれません。そして、いわゆる学校的班活動において好むと好まざるとに関わらず役割を振られたときには、まさに同形の「不可視の不手際」を働いていたのです。いたのです、というのについても、実はそれすら思い起こせばかろうじてうっすらと想像できるという程度であり、何がどこが具体的にいかなる問題であったかを認識することすら私には困難なのです。もちろん、「不可視」であるというのは私の目から見えないという話であり、被害をこうむった側からはありありと見とおせる問題であるわけです。そして、この「見えない」というのもまた、ある種の比喩的な表現であり、より正確にいうならば、「社会関係的文脈における自ら
(.....省略されました。続きを読むには体力の回復が必要です。それまでははてなポイントを送信してお待ちください)




P.S.
猫蛙ちょっと署まで来い