「悔しさ」の在り処

シロクマの屑籠(汎適所属) - 「お前、悔しくないの?」
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20070725/p2

相変わらずの煽りっぷりだなあと思うがそれはそれとして、問題は、事後的合理化と即時的合理化の能力の違いにあるのではないかと思った。
事後的合理化というのが、悔しい…でも……(ビクビクッ)というヤツで(ちょっと違うか)、
即時的合理化というのが、悔し…くなんかないんだからね!!というヤツ。(いや違うって)


事後的合理化ができる人間は、つまり即時的合理化ができないからこそ体が反応してしまう=体を動かすことでしか環境に適応できない=体の方は正直だな…フフフという形で適応するのに対して、
即時的合理化ができる人間は、環境に対して観念的に適応ができてしまう=堕ちてゆくよなスリルに慣れているが故に、逆に体を動かすような事後的合理化を行わないのではないのだろうか。


何を書いているんだおれは。






あとまあそういうクダラナイ考察を抜きにすれば、絶望の絶対量=絶対容量というのがそれぞれ肉体的精神的に各人には備わっていて、それが限界を迎えているような場合には当然、環境への対応的行動というのは起きないほうが、精神医学的には普通なんじゃあないんですか?