断罪は気楽な稼業と来たもんだ

編集便り・父親の責任に対して世間は甘すぎないか?
http://www.news.janjan.jp/editor/0709/0709212699/1.php

二人の自閉症児を殺害した母親の事件に関する記事。
ああ、言える事はただひとつ。



断罪は気楽だ。



もちろん、その評から自閉症を家庭環境に起因するものだとか、あるいは育て方に起因する後天的な「単なる性格の問題」とするような姿勢は見受けられない。
だが、
この問題に対して、自閉症という問題に対して、あるいはもっと広く障害という問題に対して、「家族の責任」というものを持ち出す時点で、それは問題に対する視点を最小単位に限定し、結果的に当事者を追い詰めることにしかならないのではないのか。
これも「美しい国」の伝統か。
貧も病も争も、すべて「自己責任」か。
個人が直面する問題を、すべてその個人の責任のみ帰することがこの国のならいというわけか。
それでよく「和の精神」などといえたものだ。
いや、だからこその「和の精神」か。



「和を以って貴しと為し、忤*1うこと無きを宗*2とせよ。」



「和」という上っ面の上澄みの奇麗事のお為ごかしのご都合主義を取り繕うために、「逆らわないことを徹底しろ」というのが「和の精神」なら、なるほど断罪こそが「和の精神」にふさわしい。
「貧病争」などという「あってはならない問題」は、すべて個人単位の小さな檻に押し込めて、ハナから「無かったこと」にしてしまえば、それで美しく和が保たれるというわけだ。



人類が生まれてこの方、自閉症の因子は絶えて無くなった事が無いのだ。
そして、先進各国では医療技術の向上とともに、自閉症の人間は増加の一途をたどっているのだ。




それをロクに考えもせず、ケシ粒ほどの対策も講じず、一銭の金も使わずに、それを無くする事ができるのは、



そう、この「美しい国」の「和の精神」だけだ。






この父親だって隠れ自閉症だろうに――。

*1:さから

*2:むね