「病んだら書くな、嫌なら読むな」というあかるいネット社会

「病んだら書くな、嫌なら読むな」というのが、ネット上では多数派を占める「正論」のようである。

とはいえ、身の内にたぎる衝動が言語化されてあふれんばかりに荒れ狂うという症状もまた、現実に存在するものなので、ついつい書いてしまうというよりも、症状の処理のために、その緩和策のために書かざるを得ないという状況は、事実として発生するのである。

ご理解いただきたいとは言わないし、どうぞご利用くださいなんてもっと言わないのだが、ただ単に事実として存在するということは、自分のこれまでの行為が証明している。

その「余計なこと」を書いてしまうという異常な側の「無神経さ」を指摘するなら、正常な側の「無神経さ」もまた同じで、要は、その文章の発端となる感情が陰陽のどちらに属しているかというだけの違いに過ぎない。

そして、その陰陽のうちの陽だけを正常・正当・正論と認める態度とは、自分が見渡す空間を自分と同じ意見で染め上げたいと願う「セカイ系」的な欲望であるといえる。
あるいは、それがネットを「あかるい社会」にしようという隠れた欲望に基づいたものであるとすれば、それは畢竟、「ネット完全実名性」を唱えるのと同じくらい狂っている。

それともニュースピークはお好きかな?

誰が狂っているかいないかというのはさておき、「病んだら書くな、嫌なら読むな」という正論派が掲げる排斥テーゼは、そのまま「感じたら書くな、嫌なら読むな」というテーゼとして正論派に帰っていくのだが、その点は周知されているのだろうか。




「嫌なら読むな」といった瞬間に、そう書いた本人がその禁を破っているというのだ。




<追記>

kyo_ju 病んだら書くなってそんな酷なことはないでしょう。むしろ病んでもいないのに悪意が露出しすぎてる文章が多いことがネット社会を血で染めてる気が。そういう方たちに限って「嫌なら読むな」と開き直る。

というコメントは、
後段はともかく、前段の「たいしたことではない」という価値判断それ自体が実に「あかるい」。
とはいえ、「匿名性がもたらす暴力」と「個々の感情の暴発」というのはイコールではないにせよ水面下で通底していることもあろうし、注意すべき視点ではある。
だが、ならばそれはやはり「病んでいる」ことになるのではないのか、とも思う。


staki 嫌なら読むなはともかく(ホントに)病んだら書くなはある程度。というのも、病みMAXな瞬間に発作的にエントリ上げて、(不本意に)人間関係を悪化させてしまうケースを何度か見たので。本論じゃない部分だろうけど。

というコメントは、
もちろん承知している。
私の場合はたまたま書かない方がいい時期というのは、書けない時期にあたっている。
だがそれは無自覚なコントロールが偶然に機能しているだけで、問題はそのコントロールを失っているか、そもそも持たないか、身につける術を知らないという場合なのだ。


fuktommy 読んだから嫌になったんでしょう。因果関係が逆。

というコメントは、
無自覚のうちにあかるい反応だけを「正常」と認め、暗い反応を「異常」なものと断じて封じ込めようという、まさに「健全」な精神の賜物であって、とてもこの記事を読んだ反応だとは思えないのだが、「健全」さとはつまりそういう「無神経さ」なのだ。


kosui ネットの世界における「病んでいること」の過剰な主張がたまらなく嫌。

というコメントは、
もう端的に病んでいる人間を追い詰めてその口をふさぎ、ネット社会をあかるくしようという「無自覚さ」そのもの。
まさに、沈黙は破壊の力なり。
そんなに見たくないものに出会うことが嫌だというなら、それこそローカルネットなり「幸せ空間mixi」なりにこもっておられればよいのではないのか。
不満があるなら自分を変えろ。あなたは多分、変えられる人間だから。


isnotit 病識のないやつが書く文章が嫌なんだな。

というコメントは、
まさに核心であると思うのだが、自己認識が容易にできないことこそ最大の問題なのだ。