連鎖する不運という「自己責任」

自らを不運と自覚する人間がいたとして、
その不運を「自己責任」だと定められたなら、
その人間が自らの不運を我と我が身の外に振りまこうとすることに、何の躊躇があろうか。
その人間の不運を「自己責任」だというのなら、振りまかれた不運もまた「自己責任」だ。
不運なものが不運なものを増やそうとしたところで、何の落ち度がそこにあろうか。