運とは何か?


運とは、個人が直面する環境ストレスとの摩擦係数の大小を表したものである。


運を「つかむ」「選ぶ」「左右する」ことが可能であると思われる理由は、それが偶然や必然といった人為を超えた超自然的なものだけを意味するものではなく、環境と人為の間のゆらぎを示すものだからである。


その意味では、運とはまさに社会的な産物だといえる。


そして、最初にして究極の運とは、どのような親の子供として生まれるか、である。
その運の初期値の差異は大きく、往々にして覆せないものとなっている。


一方で、その差異を覆したと思うものは「簡単だ」と言い、覆していないと思うものは「不可能だ」と言う。
これは個人の能力、つまり生物学的要因を過大評価しすぎ、環境要因を過少評価しすぎているためである。
また、それは悪平等的な固定観念に基づいた「都合のいい」誤解であるともいえる。
「都合のいい」と言うのは、「運は自己責任だ」と語る自由主義者に「人間の能力は平等ではない」という言葉を好む者が多いにもかかわらず、その言葉の裏には無自覚の内に「人間には平等な能力が備わっている」という信念が固持されているところによる。
この矛盾を塗りつぶすために、「自らの経済的成功」が声高に叫ばれる場合が多い。


「保守」という政治的態度が国家や社会の維持、延命を求める者だと言うのであれば、この運による不平等を埋め合わせる政策を講じてこそ、その使命がはたされるといえるだろう。
逆に言えば、悪平等思想に基づいた自由主義による不平等の拡大、ひいては国家・社会の崩壊・消滅を志向するものこそ「革新」と呼ばれるべきである。


故に、サイレントテロとは紛れもなく現在の政治体制に適合した「正しい」態度であり、なんら批判される点をもたない。


たとえ、テロリズムが犯罪の最上級だとしても、自由主義という「革新」が「正義」である以上、サイレントテロもまた「正義」なのである。


「希望は戦争」だって?そんなものはとっくに始まってるさ。問題なのはいかにケリをつけるか、それだけだ。




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