父親による性的虐待を防止するための社会科学的方法論

準児童ポルノ規制の前に「父親教育」を - zettpekiの日記
http://d.hatena.ne.jp/zettpeki/20080314/1205491814


ギデンズは、デーヴィット・フィンケラーの研究を紹介する
『まず、男性は、例えば男同士の親しい交わりや愛情やこまやかに子供の世話をするといった、セックスを伴わない関係性の中で、愛着心や依存心を実際に表出する機会を持つことが有益となろう。
次に、異性とのセックスを成し遂げることが、男らしさとの絶対基準として強調される事をなくそう。
三つ目に、男性は、対等な基盤に立った性的関係を楽しむようになろう。成熟の度合や能力が同じ水準の女性と気楽に付き合うことが出来る男性は、恐らく子供を性的に搾取しなくなるであろう。
男性の女性との関係が変れば、子供との関係も変ってゆく』

☆出典追記
出典を出しときます。アンソニー・ギデンズ*1 社会学 改訂第三版 第七節 家族、婚姻、個人生活pp198〜pp202


これは要するにジェンダーバイアスを軽減する、フェミニズムあるいはメンズリブ*2的な方向性ってことだよなぁ。


でも、あえて問題点を指摘するなら、
一つ目の問題点は、ホモソーシャルにおける比較権威闘争がある時点で、語られるイメージほどあまり平和的に実現されるものではないように思える。そして、「こまやかな子供の世話」というのは決して精神論では実現されえない物理的な問題であり、労働問題――ひいては社会の産業構造の問題として提起されるべきものである。
二つ目の問題点は、ホモソーシャルの解体ということだろうが、それはおそらく国家や社会そのものへの帰属感をも切断するだろう。比較優位劣位でつながるのがホモソーシャルの核であるなら、その比較を抜きにした時に、「何」を核にしてつながるのだろう。そのためには、超国家的個人主義をもとにする契約主義社会が真に構築される必要がある。
三つ目の問題点は、その「対等」や「成熟」というのが、前にも言ったように年齢で均等に輪切りにできるものではないということだ。おそらくそれこそが最大の問題であり、この「発達」「成熟」の「非対等性」「非均等性」というものを、いかに「監獄医療化」しないようにするかが、ネックになることは間違いない。


最大の問題点、いや疑問点は「もはや社会学ジェンダー論を語る上で男女の性差――その相対性をもちだすことは、結果的に文化相対主義のごとく男女の亀裂、社会の亀裂を広げるだけではないのか?」というところだ。


そして、その亀裂――キャズムを超えるためには、「性差」ではなく、それを包括するカテゴリにおける「人間の精神の発達」という視点で、これに類する問題をとらえなおしていくということではないのだろうか、と考える。


医療社会学とか、発達社会学という分野なのかな、これは。

*1:引用注:「・」入れないとキーワードリンクしないため、補

*2:マスキュリズム