「ゲーム言説」の恐怖

なぜエロゲーだけ語られたか? - ARTIFACT@ハテナ系
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20080423/gamecriticism

アクションやパズルといったゲームを語る言語の場合、いわゆる文字的言語ではなくて、数的言語、数学的思考が必要とされるということがそもそもの原因ではないだろうか。


そして、数的言語、あるいは数学による批評、すなわち考察を続けていくと、必然的にプログラミングに行き着いてしまうからではないだろうか。


ゲームについて消費者として接するつもりが、いつの間にか開発者として接する必要が出てくるというねじれ現象。


ゲーム消費者として居続けるためには、ゲームそのものから一歩引いた物語に足場を置くしかない、ということか。


そういえば、「マンガをマンガそのものの理論で語ろう」というのは夏目房之介が「マンガ表現論」でやってるよなぁ、と思った。


でもそれも、極論すれば画像的記号論、記号言語論で、GUI(グラフィックユーザーインターフェイス)の問題だよなぁ。


これもまたどちらかと言えば、文字的言語ではなく数的言語に近いのではないだろうか。


あるいは、文字表現に適した特性を持った人間の数の方が、数的表現に適した特性を持った人間の数よりも多いと言うことが原因なのか。


というか、そもそも数的言語による批評というのがイメージできない。


やっぱり、それは数学の論文かプログラムのコードかのどちらかになるのではないだろうか。


もし、そんなものが出ても「読めない」「売れない」「流行らない」の三拍子で市場から秒殺されそうだ。


はてな村ギーク族を除いて。



<数的言語ってたぶんこんなの、という例>


計算の答えが「73」にならないと出られない庭 : Gizmodo Japan(ギズモード・ジャパン), ガジェット情報満載ブログ
http://www.gizmodo.jp/2008/04/73.html


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それでもたぶんこれくらいが一般化の限界なんじゃないかなあ。