マクロスフロンティアのどうしようもなさについて

「すべてのアニメ製作社よ、パチ屋に魂を売れ〜!」(byクラウザーII世)とか、第一話のナレーションを見たときには思ったりもしたけど、このどうしようも無さというのはなんなんだろうな。


まるで木星行きの棄民船団でリピート消費されるステロタイプアニメ。


マクロスという作品が、唯一かろうじて現在とつながっていられる要素「一周回って新しい」と思えるアイドルという要素にしても、アイドルマスターというゲーム消費文化があってこそのものだしなあ。


つまり、作品自体がなんら目新しいテーマを提示し得ていない、あまつさえそれに気づいてすらいないような感がマクロスにはつきまとっている。


マクロス7にしても「人気ロックバンド」というイメージが10年くらい遅れてた気もするし、マクロスゼロでは未来世界のハズなのにいまだに植民地人類学が学問の頂点だったりしたし。


これはもう、制作者の頭の中が完全にストップしてるという理解をするしかないのか。(メカは除く)


大体がだよ、「文化を持たない存在」という80年代的価値観、というか差別と偏見がもう今となってはちゃんちゃらおかしいハチャメチャ設定に思えて仕方がないわけで。


戦闘民族だというなら、兵器・艦船・装備品・その他戦闘にまつわるものすべてが民族文化として認知されるのは当然だし、恒星間飛行とワープ航法が可能なレベルの超科学技術を持っているにもかかわらず、女がいない/男がいないってだけで「文化がない」呼ばわりって、マジすごい。


それに比べりゃ、こないだのコードギアスの学園話の方が、一見どこまでもぶっ壊れただけのお馬鹿インターバルに見せかけてそこにひっそり寂しさを忍ばせるあたりが演出の妙だなあと思ったものだ。


あとは、シュナイゼル様がどこまで壊れるか壊れないかが最後まで目を離せない谷口作品的な見所か。


ポジションとしてはあれ「かぎ爪の男」でしょ。