釣り記事にIDコールされたと思ったら案外まじめだったでござるの巻

id:colourofthesunさんなる方からなぜかIDコールが来てて、その記事タイトルをパッと見たらいかにも釣りです本当にありがとうございました。
と言いそうになったのだが、記憶の隅の印象と照合した結果、そういえばこのブログは「外国人三名が書いています」というものではなかったかと思い至り、ゲイフォビア問題だの、レイプゲーム問題だの、表現の自由問題だのという日々積み上げられるこみいった大切なテーマの数々でお疲れの皆様のために箸休め的なネタを耕すのも村人の末席を汚す者の務めかと思い、ちょっとだけ釣られてみんとすメントス

はてな」という、知的コンプレックスがある人たちのコミュニティ - 日々の色々・The colour of the sun
http://d.hatena.ne.jp/colourofthesun/20090524


一見して目に優しくないデザインで非常に印象は強いが記憶に残したくないタイプのブログだな、というのが第一印象。
次に、2009年にもなってフォント芸かよ、という日本のweb文化の歴史を知らないとまったくわからない差別的価値観が第二印象。
そして、コメントの選球眼の悪さがすべての印象を悪い方に決定づけてるんじゃないかな、というのが第三印象。


<以下その理由>

特定の対象(個人・集団)に対して「コンプレックス」という表現をぶつける時点で、そのコメント者が対象にマイナスのイメージを抱いている=付加したい意図があるのは明らかだといえる。
そのため、そのような(いずれにせよ)「偏った」意見を考察の足がかりに採用した時点で、以降の考察自体が(どのようなまじめなものであっても)周囲の人に好意的に受け入れられる=何らかの実のある反応を得にくいものになっている、ということはまず自覚された方がいいのではないか。


なんというか、「コンプレックス」に限らずレッテル的表現を用いたコミュニケーションとは、つまりはすべて以下のようなテンプレートで処理されるのではないだろうか?

「あいつ「○○」じゃね?」「だよねー!!」


ぶっちゃけていえばこんなネタでトラバ送ってくる必要もなにもあったものではなく、レッテル表現はそれが発言された時点で完結しているのである。同意以外の反応を求めていないのだから。



そもそも「知的コンプレックス」という言葉自体が、「はてなフォビア」とでも言うべき方々だけが好んで使う言葉であって、およそ一般的な日本語ではないように見受けられる。たとえば以下の検索結果では、トップのブログ記事以外はほとんどハズレである。

知的コンプレックス - ウェブ検索
http://www.google.co.jp/hws/search?hl=ja&q=%E7%9F%A5%E7%9A%84%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9&client=fenrir&adsafe=off&safe=off&lr=lang_ja


で、上の検索結果の中から言葉の定義に使えそうな部分を引き出すと、こんな本が出てきた。


コンプレックスに勝つ人、負ける人 (PHP新書)

コンプレックスに勝つ人、負ける人 (PHP新書)


どう見てもこの本自体が釣りです本当に(ry
それはさておき、この本によると「知的コンプレックス」とは「知識をバカにする人、ひけらかすバカ」というもののようです……ってそんなアホな定義あるかあっ!!
*1この荒い定義を作ったのはだれだぁ!!
知識を持つ事と知識を持たない事とをまったく同列に扱うような言葉が、はたして道具として使えるものなのでしょうか?
対テロ戦争における「テロリズム」定義でも、アメリカの国家テロは除外されているというのに!!
日本政府の外圧定義でも、アメリカの外圧は「きれいな外圧」、国連の外圧は「きたない外圧」と区別されているのに!!


もっと根本的な事というとね、この本を出しているPHP研究所って出版社自体が「あたまがいい/悪い」みたいな本ばっかり作ってる、ある意味「知的コンプレックス」の……(以下ry




……とまあ、こんな風に「本筋」から離れた所にばかり目がいくのが「知的コンプレックス」の証拠だ!って勝利宣言がどこかからか聞こえてきたのでこの辺で終わりにします。








これが「外国人三名による連名ブログ」という手の込んだコンセプトの釣りだったら……まあ、いいか別に。

*1:ドスドスドス