公設私刑制度としての裁判員

強姦事件の裁判員裁判、懲役15年を求刑 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090903-OYT1T00979.htm


性犯罪初の裁判員裁判、求刑通り懲役15年 : 裁判員 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20081128-033595/news/20090904-OYT1T00730.htm


裁判員に選出された女、何を勘違いしたか裁判長気取りで被告人に説教をしだす:アルファルファモザイク
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51506871.html


裁判員制度が、抵抗のできない相手に対して安全なところから一方的に世間感情をぶつけて不満のはけ口にする公設私刑制度であることがハッキリしてきた。
しかも、叩く相手は文字通りの悪人だという「お墨付き」だ。これほど「日本人」を喜ばせるものはないだろう。
ネットで軽々しく口にされる「そんな奴は死刑にしろ!」が、まさしく現実のものとされるのだ。


キーワードは「私には考えられない」だ。
口にする本人は、「自分が世間一般を代表する常識的な判断をした」つもりでこの文句を唱えるのだろうが、実際には、「考える能力がない」だけに過ぎない。
所詮、人間は自分自身が見聞きし、体験したごくせまい範囲内の出来事しか、理解できない。
その中でバランスを取るために、法律という擬制的客観が「中庸」として作られているにも関わらず、「自分の正義」を「悪人」にぶつけて自己満足に浸るこの制度が、私刑=リンチでなくて一体何なのだろうか。


「迅速で文字通り簡単な裁判を」という裁判員の人権=生活への負担を軽減するための方策は考えられても、「スピード処理され疑義を挟むと反抗的と取られかねない」という被告人の人権を守るための方策がないがしろにされるこの制度。
「極端」な判決が出ることがわかりきった制度下で一審が下されるなら、「まともな扱い」を求めて被告が上告する確立が上昇しない方がおかしい。
そうなれば、裁判員制度は、裁判コストの二重三重の悪化を招くだけのものと言えるだろう。


結局、笑うのは自らの権威を「世間」に示す検察だけではないのか。


いや、「お上」と一体化して「正義」を体感できる「日本人」も、か。

asahi.com朝日新聞社):「違憲なので裁判員抜きで裁判を」被告弁護人が申し立て - 社会
http://www.asahi.com/national/update/0901/TKY200909010190.html


やっぱり裁判員裁判は失敗だった - NOW HERE
http://d.hatena.ne.jp/RRD/20090806/1249566456


取調べの可視化を阻むもの - Apes! Not Monkeys!  本館
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090907/p1