Twitter時代は「空っぽの洞窟」?
インターネットは「空っぽの洞窟」ではなかった。とりあえずTwitterが出てくるまでは。
しかし、Twitterの登場はインターネットにとって、「洞窟の入り口」が増えたのと同時に大量のガレキの山を生み出してしまったのではないか。
最近の自分の「はてなブックマークのお気に入り機能」を眺めていてそう思う。
これがRSSでもTumblrでもおなじことだろう。
はてなブックマークは死んだ。Twitterが生まれた不幸によって。
「昔はよかった」という懐古論がしたいわけではないが、ブログ時代にはTwitter=ミニブログ時代の今にはないものがあった。
ブログ時代には淘汰があった。
「書けない者」が容赦なく淘汰されていく中で、生き残りと洗練を経た名作がいくつも生まれていた。
しかしTwitter時代に入った今、そのような「ネット上の成果」は急速に減少していくだろう。
書き手個人の問題としてではなく、設計されたシステムの問題として。
Twitterはその性質上、実況板の「キター」などといった短レス書き込みがすべて独立したスレッドとして乱立しているようなものだ。
たとえそれをまとめるツール、Togetter・トゥギャッターがあるからといってそのすき間がそのまま補完されるものではない。
「まとめブログ」であれば、まだ一つのテーマの下であらかじめ集積された「プレ編集状態」の書き込みの中から取捨選択がなされるものだった。
いわゆるネット上の「観測範囲」の問題も、すべて「ある特定のスレッド(群)」という情報源=ソースの固定によって一定の担保があった。
しかし、Twitter+Togetterにおいては、そもそもの情報源が完全に開放されていると同時に完全に拡散している。
その中においては、編集者個人の編集技能と観測範囲の適切さが、これまでとは比較にならないほど強く求められることになる。
発言の前後をたどることすらできないTwitterのシステムがそれをさらに困難にしていることは言うまでもない。
結果、多くの「Togetterまとめ」が作られている割に、まさしくガレキの山のごとく中身のないもの、読むに耐えないものが乱立しているのが実情ではないか。
そして、一々の発言やリンク元にすらたどり着けない書き込みが独立したエントリとして、はてブやRSSで配信されるような状況が、解決に向かう方向性はいまだ見えてこない。
どんな小さな書き込みでも「大きく見せる」ことができるTwitterシステムによって、たしかにネット上に流通する情報量、データトラフィックの量は増大するのかもしれない。
しかし、単に書き手が増えればいい、というだけの発想でできたとしか思えないTwitterシステムにおいては、個々人の書き手兼読み手としての「強さ」が求められない。
その中において、Twitterが強力なデマ・メディアであることは既に知られている。
そして、書ける人間を書けなくしていくメディアでもあるし、また書けないことを「システムの問題」とすることで、それ以上に、反インターネット的な結果を生み出しているのではないかと思える。
Twitterはインターネット草創期の理念である「集合知」の積み重ねに対する大いなる妨げになっているのではないか。
そして、それは一体誰にとっての利益になる「インターネット」なのだろうか。
【NGワード:リアルブログ・観測範囲・ケータイ文化圏】
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これでRSSは完全に死んだ:FeedburnerのCEO、Dick CostoloがTwitterのCOOに
http://jp.techcrunch.com/archives/20090902oh-rss-is-definitely-dead-now-feedburner-ceo-dick-costolo-to-become-twitter-coo/
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