ワンピース批評が「できない」いくつかの理由


一言で言うとメディア受容の問題。



◆少年漫画
忘れられがちな事実として、そもそも少年ジャンプは、10代前半までの「少年レベル」の理解力を前提にして作られるメディアである。
批評を理解するには少なくとも大学卒レベルの理解力を必要とするのに比べて、マンガ=少年漫画は子供でも「わかる」ことを<目的>として制作される。
そのメディア特性によって、感想と批評との違いを理解できないまだ学習途中の就学児と成人した大人が同じ土俵に「立ってしまう」。



◆ゲハ脳、あるいは売りスレ脳
売り上げ至上主義。ビタ一文自分の所得とは関わりのない「売り上げ」をさも自分の手柄であるように錯覚し、倒錯する態度。
ハンバーガー脳といってもいい。「ハンバーガーは世界で一番売れているから世界で一番うまい料理だ」という屁理屈。
たった一つの側面を取り上げてそれがすべてであると決めつけてしまう態度が、およそ多角的な視野=価値観を元に展開される批評と相容れるものではないことは明らかである。
しかし、「数字」に寄りかかる態度を自己目的化した売り上げ至上主義の知的怠慢は、怠慢であることに揺るぎがない。



権威主義
一番売れているからとにかく「正しい」のだ、肯定的な意見しか存在しない、してはいけない、少しでも非難することは絶対に許されないのだ、という態度。
ちょっと頭が良いからって俺たち(のワンピース)をばかにしやがって、というひがみ根性も混じっている。
ゲハ脳、売りスレ脳とも密接に繋がっている。
評価の「定まった」ものに対して、その「定まった」評価以外の言及を許さない全体主義



◆世代間格差
30代上と20代以下の世代のナワバリ争いという側面。
その連載当初からのワンピースの「目標」であり、比較されることを運命づけられたドラゴンボールをリアルタイムで読んでいた世代と、今ワンピースをリアルタイムで読んでいる世代との対立。
比較の対象としての情報の蓄積の有無、という点以上に、どのマンガが原体験かという感覚的な違いが大きい。
「われわれ」の神話として、少年期に初めて触れる作品が聖典化、神格化されるのに対して、青年期以降に触れる作品は容易に並列的、客観的に理解される。


尾田栄一郎ONE PIECE』 - 紙屋研究所
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20100628/1277732436


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