「自分でコントロールできない大音量の音声」

先の集会の中で、寸劇とミニライブがあったのだが、実は寸劇の時点でその「大声」に耐えられず居てもいられなくなり、ライブがはじまったところで他の用もあって会場から退散することになった。


これまでも自分がなぜアニメや映画ですら好んで見るにも関わらず、生の舞台、演劇に興味関心がわかないのかという疑問をたびたび抱いてきた。演奏会やライブといったものにも同様である。
その疑問に対して、今日の寸劇とライブの同時開催という機会をきっかけに一つの答えがでた。


それは「自分でコントロールできない大音量の音声に対して、聴覚の耐性が格段に低いから」というものだ。


テレビやアニメであれば、自分で音量がコントロールできるのは当たり前のことで、自分はいつもメモリは10以下で聞いている。(機種にもよるからあまり客観的な基準にならないが)
では映画はどうかというと、最大公約数的な音量にノーマライズされているからではないか、というのと、物語に対しての注意の分散といったものが思いつく。


他に自分が近づかない場所を上げれば、パチンコ屋やゲームセンターといった爆音が響く空間でこれも当然「自分ではコントロールできない大音量の音声」が鳴り響いている場所になる。


この「自分でコントロールできない大音量の音声」という点を元に舞台演劇に思いをやれば、演劇とは「予測不可能な大声で抑揚が付けられた台詞が語られるもの」であり、自分にとって極めてリスクの高いものであったことになる。


静音パソコンにこだわったり、スイッチは切れているはずの外付けドライブの電源待機音が気になってコンセント引っこ抜いたりするのも、同じく聴覚過敏が原因なのだろう。
(蚊が飛んできたらしばらく寝られないというのもあるがこれはまた別か)