アニメ批評の根底にあるのは階層間対立

もふもふしたウサギが主演する戦争アニメは、ただそれだけで非難に値する - R is for Rumor
http://d.hatena.ne.jp/islecape/20100719/p1
『Cat Shit One』と『ペンギンズ・メモリー 幸福物語』と - 法華狼の日記
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100719/1279537637#20100719fn6


思わずあふれ出る啓蒙への欲求は、感情論の大合唱でかき消されるのが常である。
そしてアニメやマンガにおける批評というのは常にこのレベルから崩壊する。
それは究極的に言えば、感情論で生きるものと理性で生きるものとの生涯相容れない対立ということになるのかもしれない。


感情論が「作り手側の立場に沿いやすい」のは、客観的視野や議論を必要としないからだ。
対して、批評側が「否定的なものに見られやすい」のは、理性で語られる評論は外部からのまなざしや複雑な関係性に基づいた政治的立場に基づくからだ。


より端的に言えば、次のようになる。
単純な賛辞は、無根拠でいられる。批評は、その根拠の提示を要求される。


それにしても、「これは創作だからすべての罪を免れるのは当然だ」という同じ口が、「マスゴミ」という用語を使いたがるのは滑稽を通り越して狂気の域にすら達している。


「情報操作」に対する脊髄反射的な嫌悪の感情が、「徹頭徹尾、制作者の意図によって管理されている創作物」に対してはその「意図」の全面的な肯定に浸りこみ、それをわずかでも逆なでするものがあれば、その批評の「政治的な態度」を否定しにかかるのだ。


青筋立てて「騙されるな!」と叫ぶ次の瞬間、「黙れ!騙されろ!」と叫ぶ。
こうも単純に「マスコミ関係者」が敵視され、「創作者」が味方だとされる根底には、階級間対立の趣がある。
「高給取りのホワイトカラー」はわれわれの敵だが、「地道に働く職人」はわれわれの同類だ、とでもいった風な。



ワンピース批評が「できない」いくつかの理由 - こころ世代のテンノーゲーム
http://d.hatena.ne.jp/umeten/20100629/p1



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