[メモ]【八百長書評って】 ハンス・アビング『金と芸術』 【×☆☆☆】


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金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか
ハンス アビング
grambooks
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出版社/著者からの内容紹介
著者のハンス・アビングはオランダのアムステルダム大学で経済学の教鞭をとる異色のアーティストです。本書では、経済という観点から芸術界を支える構造を明らかにしています。エンターテイメント業界やスポーツ業界など、関連する事例にも目配せしながら、美術以外の芸術全般に当てはまる議論を展開しています。

『金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか』 ハンス・アビング | 考えるための書評集
http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-943.html

 本書では芸術家の多くは貧乏なのになぜ多くの人たちはアーティストになろうとするのかということが問われている。また芸術はなにかということも、経済学的・社会学的に問われていて、この考察もたいへん刺激に富んでいる。

 芸術というのは贅沢品であり、非実用的なものである。だからこそ芸術は重宝がられると著者はいう。つまり芸術は日々の生活や労働にあくせくせずにすむ目印をアピールすることである。世俗や金を抜け出した崇高さに近づける者であることを金持ちや上流階級は見せつけたいのである。ために尊敬は集まるのである。芸術は宗教なき時代の宗教に肩代わりとなって神聖さと崇高性を背負い、世俗からの離脱をこころみるのである。

 芸術は経済への否定である。金銭への否定である。芸術への無私の奉仕はだからこそ、崇高性や神聖さを帯びる。金に飢えたり、金銭にがめつくなることは、そのような芸術の本質にたいする冒涜と否定である。これは金に心配せずにすむ金持ちや上流階級にしか許されない贅沢なのであるが、芸術はそのような金と世俗への否定を本質としてもっているのである。金銭や商業主義の否定が芸術の本質であり、だからこそ上流階級は芸術に入れ上げ、手の届かない庶民は世俗から離れたそれらの崇高性や神聖さに尊敬の念を抱くのである。

 また人々はそのような無私の奉仕に清貧や魂の崇高性に生涯をかけた修行僧や宗教者のような尊敬を抱くのである。かれらは芸術という世俗から脱した活動に属する者として、金銭や世俗にこだわらない貧乏な芸術家という二重の意味で、尊敬の念を抱くのである。

 これで芸術とはなにかと見えてこないだろうか。芸術とは金銭への嫌悪であり、マーケットの否定である。世俗を拒否した崇高さや神聖さである。われわれの欲望はたいていそこに向かう。欲望の渦と化したマーケットからの脱出が芸術の崇高性を思わせるのである。マーケットや大衆に迎合し、売れることをめざし、マーケットや大衆に讃美されることは、芸術のめざすことではないし、芸術はその否定を根底にもつのである。それが芸術の、あるいは宗教の世俗の否定という「ゲーム」なのである。このゲームは経済の、金銭の、労働の、そしてマーケットの強烈なる嫌悪感や否定が、立ち上げるものなのである。

 われわれはいかに経済やマーケットに縛られて生きつつ、そしてそれを嫌悪していることか。芸術とはマーケットや労働にたいする拭いがたい憎しみであり、怒りであり、嫌悪が、それらの無私の奉仕と自己犠牲と生涯の贈与をもたらすのである。われわれはマーケットを憎む。芸術は金のある者、ない者の両極に位置する者たちが、いかにそれらの心配や束縛から離脱しているかというヤセ我慢を顕示し合うゲームでもあるのである。神へといたる苦行なのである。

asahi.com: 金と芸術―なぜアーティストは貧乏なのか? [著]ハンス・アビング?-?書評?-?BOOK
http://book.asahi.com/review/TKY200702270223.html
[掲載]2007年02月25日
[評者]柄谷行人(評論家)

■国家と資本が価値の「神話化」に寄与


 芸術への崇拝は、十九世紀西洋で、ブルジョア的な金権と経済合理性に対するロマン主義的反撥(はんぱつ)として生じた。芸術家は金のために仕事をするのではない、美的価値は市場価値とは異なるというような考えが、この時期に生まれたのである。しかし、「芸術の神話」が真に確立したのは、芸術家らが反抗しようとした、当のブルジョア自身が、そのような芸術を崇拝し、そのために奉仕することを高尚なことだと考えるようになったときである。


 さらに、国家も芸術を支援することで威信を示そうとするようになった。芸術を理解する文化的国家と見られたいのである。その結果、芸術は市場によってよりも、政府や企業・ブルジョアからの贈与によって成り立っている。それだけではない。贈与が、市場価値とは異なる美的価値を保証する仕組みになっている。たとえば、市場で売れなくても、公的な助成金を得たり、美術館によって買い上げられることが、かえって作品の美的価値、さらには市場価値をも高めるからである。


 以来、芸術は、それ自身ビジネスでありながら、同時にビジネス性を否定する、あいまいなものとして存在してきた。芸術の世界には、自由な競争が存在するかのように見えるが、けっしてそうではない。芸術における「贈与の経済」には、文化官僚や企業と結託した専門家集団の独占がつきまとう。芸術のためではなく、彼ら自身が存続するためにこそ、芸術への援助がなされるのである。経済学者であるとともにアーティストである著者は、本書で、そこに存する自己欺瞞(ぎまん)的な仕掛けを明快にあばきだした。

mcp and 88 blog : 「金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか?」 grambooks
http://mcpfukuoka.exblog.jp/5135628/

原題のままだと「なぜアーティストは貧乏なのか?芸術という例外的経済」となるそうです。

アビングさんはアーティストであり、経済学者。
絵画・写真・ドローイングなどの制作をおこなうとともに
アムステルダム大学で芸術経済学の教授を務めているそうです。


「芸術」それもとくに「現代」「美術」、
欧米における芸術家とそれをとりまくお金のお話、
なんでアートだけが他と違う経済システムになっているのかについて
主に「新古典派経済学」の立場から考察してゆくという本だそうです。


著者は二つの仕事をしているが、それぞれにやはり規範がある、
双方のジブンにとって恥ずかしくない本にしたい、という趣旨のことが
「はじめに」のところに書いてありました。

個人的には、そういう著者の姿勢も興味深いです。


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<↑関連↑>
 「融合」と創造性:複数の世界を生かす人々 | WIRED VISION
  http://wiredvision.jp/news/201102/2011020422.html
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[研鑚]ハンス・アビング『金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか』 - 静養の間
http://d.hatena.ne.jp/shfboo/20080107

 オランダの経済学者にしてアーティストの著者は、なぜこんなにも多くのひとが経済学者としてみればあまりにもリスクの高くリターンのないアーティストとしての職業にこだわり長くそこに居続けるのか?という疑問から出発し、結果としてこの本は芸術というものがいまもって持つ神話を解体し、しかし同時にその神話が必要とされる理由も明るみにだすものになった。

 どれも多くのひとがなんだかんだいって同じようなイメージを芸術やアーティストに対してもっているのではないだろうか。著者はこれらの神話がまさに神話でしかないことをひとつひとつ論証していく。しかしその論証から浮かび上がるのはむしろそのような芸術の神話が必要とされる現実がそうそう変わらないであろうという見通しである。

 十八〜十九世紀の産業革命以降、その圧倒的な現世利益(稲葉振一郎)によってヘゲモニーを握った科学や「計算・効率性・計算合理性」ら重視が基本になった社会に対する「ロマンチックな対案」を提供するべく必要とされたのがボヘミアン(自由業)的なアーティストであり、その「ロマンチックな対案」を構成する芸術の神話が二〇世紀にいたってますます強くなり、二十一世紀のいまの強く残り続けている。それは「あまりに工業技術的」と思える社会に飽き足らないひとや、それらから落ちこぼれたひとたちが必要とするそれなしには自分を保てないかもしれない神話なのだ。

 そのような容赦ない分析は、私のような「芸術の神話体系」にナイーヴに染まっているものですらひしひしと感じていた芸術の欺瞞性を解明し、それを私は小気味よく読んだ。同時に少し安心もした。

 つまり、著者のいうことを認めたうえでこそ、より明確なかたちでの芸術の意義を正面から論じられる可能性がひらけたともいえるわけだ。「人間の本来性」などというとひいてしまうような論調が席巻していたときもあるが、むしろそれを徹底的に解体しようとしたこの本によってそのような観念のぬぐいがたさが明らかになっている。それをいかに別の言葉でつむいでいくか。

ブログで社会は変わるのか? 金と芸術-なぜアーティストは貧乏なのか? ハンス・アビング著 読書メモ
http://shiratamazenzaitsubu.blog14.fc2.com/blog-entry-2560.html

↓にはきつい事も書かれているが、個人的な見解も入っているものの、基本的に本の内容に沿ったものである。
アーティストやその志望者にとって厳しい現実が調査に基づいて書かれている本と言えるかもしれない。
美術界隈の事、美術の将来について関心がある人は一度読む事をお勧めする。
長いので適当に区切ってある。

日本人にとっての神とは、欧米の神とはかなり異なる上、宗教観も独特であるため、日本人はあまり
「天から与えられた才能、生まれつき神様がくれた能力」という考え方をしない。
日本人にとっての神とは自然や地域に根ざした存在であり、特別な能力を授けてくれたりする存在ではない。
祈り崇めると願いを叶えてくれたり、一方で祟る。悪い事をすると天罰を与えるような…欧米の価値観で言えば、
精霊か、ギリシャ神話の神に近いのかもしれない。
もしかしたら、そういう「天の啓示がない」ところが日本人の特徴かもしれない。
だから努力で何かを勝ち取ろうとするし、逆に努力で何でもどうにかなると考えがちで、生まれつきの才能というものに
ついて強調されにくいのかもしれない。そこらへんはかなり独特なところがあると思う。
むしろ血による遺伝子信仰の方が通じやすいが、日本人は優秀な人物の子供はそうでもない事をよく知ってもいる気がする。
芸能人でも政治家でも、2世が親より優秀な事は稀で、歴史的に見ても多分そうである。
ただ、天賦の才より努力と忍耐とど根性が好まれる風潮があるのは、やはり独特かもしれない。


日本ではアーティストは特別でも神聖でも何でもなく、美大を出ていれば誰でもなれる。
何となくだが、「頑張って勉強すれば練習すればなれるもの」という事を前提として、芸術に限らず全ての職業が
あるような気がするし大学も勉強のカリキュラムもそうだと思う。
世の中の多くの事には、努力では及ばない生来の、生まれつきの何かが必要である。日本の教育はそこを無視しているし認めない。それがそもそも間違っていると思う。
そして、芸術は間違いなく、生まれつきの何かがないとだめな職業の一つで、努力で入学出来て、技術だけ教え込む
…その結果、フリーターやニートを大量に輩出しているとすれば、明らかに日本の芸術系の大学は教育も受験も
間違っている。
日本では努力で何もかもどうにかなるような理屈や価値観が横行し過ぎている。
努力は必要だが、努力で才能が手に入るわけではない。
日本の教育は根本が間違っているとも言えるし、執拗に努力と訓練のみを課すので全体のレベルそのものは高めとも
言えるが、オール4の優等生を大量に輩出しているような感じがする。誰も突出は出来ないという事。
アーティストとか才能というものは、仮に他が全て1や2だとしても、その分野だけは突出した5どころか10や100
である人の事だと思う。日本の教育はその前提を無視して作られている感じがする。

金と芸術〜なぜアーティストは貧乏なのか?: アルス・ポエティカ〜音と言葉を縫いつける
http://jca03205.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_9961.html

「金と芸術」というのは邦題であって、原題は訳すと「なぜアーティストは貧乏なのか?芸術という例外的経済」となります。
要するに、現代における芸術活動全般に関して、経済的な観点を中心に分析をしていく、というのが本書のスタイル。
欧米の社会環境中心の話なので、日本では当てはまらないような描写も多々あるし(特に政府や公機関と芸術の関係とか)、いささか話がくどくて若干論旨の展開に無駄があるような気もします。
そういう難点は感じつつも、芸術をめぐる社会や経済の動きは、基本的にどの国でも、どんな人でも変わらないんだなあということを実感。

世の芸術家のうちのほとんどは全く認められないまま活動を続けます。なぜなら芸術に身を捧げるということが彼らにとって人生を懸けても良いくらい、崇高な使命だと感じているからです。しかし、それは経済的な観点からみれば単に搾取されているだけで、経済理論を無視した特殊な行動にも取られてしまいます。

リエータたるもの、もっと狡猾であらねばならないと思う私にとって、ためになる一冊でした。

The World According to Kengo:『Warriors of Art』 - 『金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか』
http://blog.livedoor.jp/kengo_blog/archives/51091540.html

日本国内の美術畑の人間が、歴史的な面から日本の現代芸術と経済との関わりについて具体的に書いたものを、僕は知らないのですが(単に勉強不足なのかもしれないけれど)、『退屈な美術史をやめるための長い長い人類の歴史』(若林直樹/河出書房新社のなかの「経済学」という章で、なぜ近代日本の美術界が経済のシステムを見ることができなかったのかが書かれています。

 一九〇七年、明治四〇年の文部省美術展覧会、いわゆる文展の設立は、結果的に見れば日本美術の創造力を呪縛していた封建的気風と官僚追従姿勢を固定化してしまう国家機関の設立だった。しかるべき勢力、たしかな血統、政府に近い流派に属した画家、彫刻家、工芸家だけが国によって作品公開の場を与えられ、国やその支配階級に買い上げられる保証を得たからだ。個の表現を追求した者や社会問題に目覚めた者もいたけれど、彼らの仕事が孤立し継承発展させられなかったのは、ひとえにこの巨大な国家機関の存在だったと言える。

 なにせ、洋画であろうが日本画であろうが、国家=天皇の権威によって品質保証されるのだから、消費者は文展の示す作品の序列に異議を唱えられない。市場原理は無視され続けた。日本の美術市場の不活性は、国家による和洋の分立に起因していたと言ってもいい。<中略>
 このように、市場原理ではなく権威によって成り立つ美術界が公然化していれば、制作者は販売目的の“受け狙いの努力”すら放棄してしまうことになる。これが第二の創造力の放棄だった。受け狙いが芸術的に良いことか悪いことかの問題以前に、制作者が受けを狙う相手は大衆であることを考えれば、受け狙いの努力がなされないとは、美術が社会一般に背を向けることを意味する。これもまた市場の不活性につながっていった。

MEDIA SHOP|Eau de Selz: 金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか/ハンス・アビング 著
http://mediashop-blog.blogspot.com/2008/07/blog-post.html

金と名誉を手に入れるひと握りの「勝ち組」アーティスト。バイトやパートナーが頼みの綱の膨大な「負け組」アーティスト――。


本書では、エンターテイメント業界やスポーツ業界など、関連する事例にも目配せしながら、経済という観点から芸術界を支える構造を明らかにしています。
取り上げられている事例は原則として欧米を中心としたものですが、日本の実情を鑑みても大いに当てはまるところがあり、賛否はともかく、少なくとも議論の端緒の役割は果たすものと考えます。
アート・マネジメントに関心が集まり、また格差について議論される昨今の社会状況において、本書は芸術や経済に関心を持つ人のみならず、多くの人々にヒントを与えてくれます。
著者のハンス・アビングはオランダのアムステルダム大学で経済学の教鞭をとる異色のアーティストです。

今週の本棚:松原隆一郎・評 『金と芸術−−なぜ…』=ハンス・アビング著 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2007/03/20070318ddm015070080000c.html

 ◇神話化が「供給」過剰を助長する
 石原都知事が若手芸術家支援事業「トーキョーワンダーサイト」に親族を起用したことが問題視されているが、同知事は一方で都の現代美術館には行政改革を命じている。それもあり、リキテンシュタインの「ヘア・リボンの少女」の高額購入が議会で取り上げられたりした。金と芸術の関係には、一筋縄ではいかないところがある。

 著者は自問する。経済学ならば芸術の金銭面をどう論じるのだろうか。
 たとえばアーティストの多くが貧困であるのは供給が過剰だからであり、政府が多額の助成を行うのは芸術が共同財(公共財)で、助成なしには供給が不足するからだ、こう経済学なら述べるだろう。それは真実の一面に光を当ててはいるが、しかしこの説明には限界がある。というのも、過剰な労働は賃金のより高い産業へ移るのが市場の趨勢(すうせい)であるのに、過剰は市場原理では解消されない。そして芸術には事実として共同財的な性質があるのに、助成なしでも過剰に供給されている。この過剰さには、経済学が想定しない非合理性が込められているのだ。
 芸術は、「例外的」なのである。芸術作品は、一般の商品とはどこかが異なるのだ。その違いとは何か。著者はこの問いに対し、芸術とアーティストが「神話化」されているからだ、と答える。「神話」とは、芸術は神聖であり、アーティストは無私で芸術に奉仕し、金銭や商業は芸術の価値を貶(おとし)め、これもまた無私の助成によって賄われるべきである、といった一連の信念である。芸術への崇拝は19世紀ヨーロッパで拡大した商業主義への反発から生じ、ロマン主義の体裁をとった。それが神話化を帰結し、今日に至るまで再生産されてきた、というのである。
 「神話化」は、現実の説明については身も蓋(ふた)もなく有効だ。
 ただ、この説明は社会学的すぎる嫌いがある。芸術の価値は人間関係に序列をつけるため生み出される、とみなすからだ。しかしクラシックやオペラやといったハイ・アートをありがたく押し戴くスノッブな価値観には、芸術そのものが冷笑を浴びせている。デュシャンの「泉」に威信を求めようとするならば、便器を崇(あが)めねばならなくなるのだから。

日経新聞書評「金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか」 - J0hn D0e の日誌
http://d.hatena.ne.jp/j0hn/20070317/1174134271

[Gallery Q ]
>> Q_HOME >Past Projects (“Why are Artists Poor? - The Exceptional Economy of the Arts”)

“Why are Artists Poor? - The Exceptional Economy of the Arts”
シンポジウム:『なぜアーティストは貧乏なのか? ―芸術という例外的経済―』
会期:2007年6月6日(水) 5:30-8:30pm
会場:京橋プラザ会館 2階
主催:東京現代美術画廊会議
先着 200名


なぜアーティストは貧困という茨の道を歩まなければならないのでしょうか?
アートにかかわる世界中のすべての人がこの難問を抱えながら生きています。
この苦境はアートにかかわるリスクを冒した者のみが痛感する事実ですが、その苦境が構造的な難問であることはアートの部内者にもアートの部外者にもけっして知られることのなかった隠蔽された事実でもありました。

本書はこの構造的難問を経済学と社会学の方法によって解明した芸術経済学の金字塔、アーティスツ・サバイバルのバイブルともいわれる名著の全訳です。 本書はアーティストとして生きていこうとする人々、
アートを心の支えとして生きていこうとする人々、
アートを支援していこうとする人々、
アートが世界からなくなることなど想像できない人々をはじめ、
芸術経済学、芸術経営学、芸術社会学、芸術政策学、芸術管理学を志す人々、
アート・インスティトゥート・マネージャーを志す人々、
アート・ディーラーを志す人々、
アート・ジャーナリストを志す人々、
さらには
アートには一生縁がないと思っている人々などなど
私たちとともに生きるすべての人々に捧げられています。
(コメント:山本和弘より)

写真センター/特別講演/ハンス・アビング博士
http://www.geidai.ac.jp/pc/lecture/tokubetsu/abbing.htm

  * ハンス・アビング博士[芸術経済学] 日本講演ツアー
  「なぜアーティストは貧乏なのか?」

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    * 講師:ハンス・アビング博士(アムステルダム大学名誉教授)
    * 日時:2009年10月23日 [金] 17:30〜(開場:17:00〜)
    * 会場:東京藝術大学 (上野校地) 美術学部 中央棟1階 第1講義室 → Map  
    * * 学外の方も自由に聴講できます:先着150名
    * 主催:東京藝術大学
    * 助成:オランダ王国大使館
    * 企画:山本和弘(日本学術振興会科学研究費助成金「厚生芸術の萌芽的研究」研究代表

 芸術経済学の世界的権威ハンス・アビング博士の画期的な名著『なぜアーティストは貧乏なのか:芸術という例外的経済 Why are Atists Poor? The Exceptional Economics of the Arts』はアーティストと経済学者を両立した稀有な立場から芸術神話の迷妄を切り開くことによって日本にも大きな衝撃を与えました。その確かな評価は朝日、読売、毎日、日経の主要新聞の書評をはじめ、各種雑誌での書評でも裏づけられています。しかし、この偉大な著作のメイン・ターゲットであるアーティストやアーティスト予備軍の若者たち、さらにはその支援者や父兄の方々にはいまだ知られざる存在であることも事実です。
 このたびのアビング博士による講演ツアーはすでに博士の業績を高く評価している方々のみならず、アーティスト、若きアーティスト予備軍、美術ファン、コレクター、アートディーラー、アートマネージメント従事者および研究者、芸術支援者、文化政策担当者、企業経営者はもとより芸術とともに生きようとする日本の未来に対するささやかかつ崇高なる贈与として企画されたものです。


 なお、講演は英語で行われ、日本語による逐次通訳がつきます。[通訳:村上華子] また、聴講ご希望の方は事前に『金と芸術―なぜアーティストは貧乏なのか:芸術という例外的経済』(2007年、グラムブックス刊)をご一読のうえ、参加なさることをお勧めいたします。

ハンス・アビング博士[芸術経済学] 日本講演「なぜアーティストは貧乏なのか?」〈第二会場:東京〉私的メモ - 現代美術室
http://d.hatena.ne.jp/edtion1/20091024/p1

『金と芸術』翻訳者山本和弘氏による前フリ
・『金と芸術』を翻訳して出版したが、殆どアクションが無い。
・それ以前に読まれていない(売れていない?)
・新聞の書評には取り上げられるなど、アートワールドの外には響いた
・しかしアートワールドの内側の人には届いていない。

ハンス・アビング博士による講演


・アーティストが知っておくべき課題
・芸術と例外的経済
・アーティストを取り巻く環境は欧米もアジアもあまり関係が無い。
・欧米におけるアーティストの総収入(副業含)40〜60%が貧困ラインを下回っている。
・アートの収入だけにフォーカスすると、さらにその数は増える。
・芸術からの収入は低い。
・欧米における大多数のアーティストは芸術からの収入だけでは成りたたない。
・アーティストうち1%が例外的に非常に高い収入を得ている
・77%が社会保障が必要、44%が副収入よりアートの収入のほうが多い

・芸術からの収入はいつの時代でも低かったわけではない。
・19世紀迄はアーティストの収入は低くない。
・19世紀以降、アーティストの数が急激に増加した。(特に第2次大戦以降)
・西洋諸国ではアーティストの60%〜90%が副業を持っている。副業の内容は様々。


アーティストは供給過剰だろうか?
・収入が低いということは、アーティストが供給過剰ということを示唆している。
・しかし他の職業と異なり収入が低いから、アートという職業を離れたい、アーティストになりたい人が減ることは無い。
→例外的経済


なぜ低い収入の職業を選ぶのか?
収入が低い理由
  (欧米では)アーティストは尊敬を集める存在として位置づけられている
  →芸術の神話性
  極端に高い収入のアーティストが、目指す人の心を惹きつける?
  名声と注目を求めている?
  ステイタスや仲間からの認知度を求めているから?
  制作することを好むから?
  創造的な仕事を好むから?
 以上の説明はアーティストの低い収入を説明するのに有効だが、十分な説明ではない。


最も基本的な説明
・芸術は特別である
 アーティストには芸術を生み出す衝動とで責務がある
 アーティストには特殊なセカイに隷属する喜びがある


欧米ではアートは神聖なものであるといわれる
 19世紀以降、アートは個人であろうとする歴史と結びついた。
 殆どの欧米人はアーティストは本物であると尊敬している


低い収入は何で埋め合わせられるのだろうか?
・アーティストは耐える存在という考えも成立する。


アーティストは臨時収入があると制作のための時間や設備にお金を使う。
(労働選好)


3種類のアーティストがいる
 貧乏ではないアーティスト(少数)
 傍から見るとそれほど貧乏ではないアーティスト(多数)
 本当に貧乏なアーティスト


アーティストへの助成・支援
・支援が必要な貧乏なアーティストは増加している
・アーティストへの直接の支援は、多くの芸術作品を生み出すことにはならない。
・寄付や助成の増加がアーティストの生活を向上させることはない
・貧乏なアーティストの人数を増やすだけ


アーティストの特殊性
・アーティストは比較的裕福な家庭が多い。


繁栄
・裕福な国々では貧乏なアーティストが比較的多い。


アートの成長は経済成長とリンクする

質疑応答関連の適当メモ
・オランダでもアートマーケットは小さい
・プロのアーティストは作品を作っているだけでは満足できないはず。
・問題は、買い手ではなく作り手にある。
・アーティストに作品を売る姿勢が無い。

・買い手との難しい相違。
・プロのアーティストの定義は?
 税務署と個人の意識の問題。
・必要なのは才能だけではない
・プロのアーティストは自分の作品を広く知らしめたいと思うはず。
・貧乏なアーティストを直接支援するのではなく、コミッションワークで支援すべき。
現代アートは決して売れるものではない。
 買いたいものと現代アートには差がある。

・プロフェッシャナリズムの高まりによってなにが変わるか?
 芸術が科学に向かう可能性
 芸術がエンターテイメントに向かう可能性
村上隆の[芸術企業論]は読んでいない。


講演の概要(私的なマトメ)※
アーティストは一部を除いてアートだけで生活するのは難しい(貧乏)
20世紀になってアーティストの数が増えている(供給過多)
欧米ではアートに神話性がある
欧米人はアーティストを本物として尊敬している
アート(アーティスト)の経済は一般的な市場経済では無い(例外的経済)
アートィストへの助成はアーティストを貧乏から救わない。

芸術日記■会田誠山口晃展『アートで候』と『金と芸術』なぜアーティストは貧乏なのか? シンポジウム 村松恒平 : DRAGON ART CREATOR'S REVIEW
http://www.ryukoart.com/?p=325

展覧会のことを書いたら、シンポジウムはどうでもよくなってしまった。
テーマは関心があるが、とにかく、三時間は長い。この程度の内容なら、一時間半くらいで済ませてほしい。


芸術の直線と金の直線は、数学でいうと、「ねじれの位置」にある(中学の数学でなぜかこういう不思議な言葉で習ったのだ)。接点があるのがむしろ例外なのである。
芸術は精神において自律的、自立的であることに本質がある。
しかし、経済というレイヤーでみれば、自立なんかするわけないのである。それを混同しているような発言があった。
あげられる事例には、いくつか面白いものがあったが、もう少し本質的な議論をしなければ何も変わらない。
しかし、ここで批判してもあまり意味がないだろう。

上記の展覧会とシンポジウムで感じたことは、『芸術はお金を超越する』という単純な結論である。
それは、イデアにすぎない。
しかし、そういうイデアと、アーティストの現実論を混同して語るのはよろしくない。