ジェットストリーム

この一週間の怒涛のような出来事については、
またあとでしっかりまとめるとして、
ブログというのは、やっぱり何かしら書かないと続いていかないということを、ひしひしと感じています。

何ちゅーか、最初から何らかのスタイルを確定した上で書いていこうというのがそもそも間違っていたのかもしれません。
よって、これからは、もちろん極力クールな「テンノーゲーム」を目指すつもりではありますが、
自分のあんまり人にほめられたもんじゃない、というようなところをも含めて、

思い立ったが吉日カキコで、やっていきたいなあ、と。

まず、この一週間を一言で言っておくと、
「友だーちよ、これが私の〜♪一週間のシゴトです〜〜〜♪」
てな感じですますハイ。


で、改めて特撮ファンとしてのスタンスからブログ内ブログを、
<窪塚は幻想人間?>
http://news.www.infoseek.co.jp/entertainment/story.html?q=19fuji39879&cat=7

「幻想人間」かぁ。。。
かつて東映特撮の黄金時代の作品に、「怪奇人間シリーズ」というのがあって、
そのなかで「電送人間」とか、「ガス人間第一号」とか「マタンゴ(→キノコ人間)」なんてのがありましたのですが。
よく考えたら、このうち「電送人間」なんてもろに「マトリックス」を先取りしたようなテーマなわけで。
当然マトリックスの基になった「攻殻機動隊」よりもずっと早くに世に出た作品だったわけで。
そうすると、日本の「特撮」のパワーというのは、「子供だまし」などと切り捨てられてしかるべきようなものなんかじゃ絶対的にない!
ということはいえると思うわけです。

そして、特撮の代名詞として挙げられるような「戦隊もの」「変身ヒーローもの」についてもそれは同じこと。
そもそも、ハリウッド製であればクールだとして無条件に賛美する人たちが、なぜ日本製であるというだけで、一切作品としての評価を見ようとしないのか。
しかしまあ、そこにはもちろん、ひとつの同じ姿勢が見え隠れもしています。
つまり、「何も考えていない」のですよ。ハリウッドを尊んで和製を蔑むような連中は。

「変身ヒーロー」・・・・・・現行作品で言えば、「特捜戦隊デカレンジャー」、「仮面ライダー剣ブレイド)」、「超星神グランセイザー」、「(実写版)セーラームーン」などがあります。

そう、これらの作品は確かに主要な視聴者層をいわゆる「子供」に向けています。
しかし、それを作っているのは立派な大人、そう、それで金を稼ぎ、産業を形成し、メディアを巻き込み、ファンを生み出し、あるいはひとつの流行(「イケメン俳優に熱狂するママ・ファン」など)をも作り出すような、「大人」、が作り出したものなのです。

そして、これらの作品というのは、
その大人が子供に対して「「正義」とは何か?」
という今、世界で最も重要なテーマとなった、この哲学的かつ政治的な問題に対して、真剣に、ごまかしなしで、伝えようとしているものなのです。
このような姿勢を持つ特撮製作者と比べて、果たして今のコネズミ首相にどれほどの誠実さがあるのでしょうか?

というわけで、
『ヒーローと正義』 寺子屋新書 白倉 伸一郎 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/490133042X/250-6213749-4600220
この本をぜひ買って読んでみてくださいな。

大河ドラマ新撰組!」に出演中のオダギリ・ジョーのデビュー作となった、「仮面ライダークウガ」から始まる、いわゆる「平成ライダーシリーズ」を手がけ、今も特撮番組をプロデュースしている現役プロデューサーの、真剣な思考の過程が読み取れます。
一つの思考実験だとしても、この「ヒーローと正義」という問題は、カナリ哲学的な領域にまで踏み込んでいると感じました。

なんてったって経歴を見たら「東大卒」。
仮面ライダー」までも東大に作られる時代なのかと思うと、ちょっとまあ釈然としなくもありませんが。

この「ヒーローと正義」というテーマに対する問いかけが、最も前面に押し出された作品が、「平成ライダーシリーズ」の第3作「仮面ライダー龍騎」だと私は感じます。
この作品はまさに、あの「9・11」テロを受けて製作、放映されたものです。
最終回直前に、平和主義を説いていた主人公が名もないモンスターに殺されて死んでしまうという、非常にラジカルな作品となっています。
それでいてもちろん「一話、一話、怪人が出てきてそれをライダーが倒す」というフォーマットは継承されています。
また、映画版では、この作品の一つのテーマである「救済」の対象である女性が、救われる前に自殺してしまったりもします。
ちなみに、「妹」です。
妹の命を救うために兄がライダーに変身するシステムを作って・・・というのが「龍騎」の中での「仮面ライダー」を支えています。

しかし、ここで変身するのは、その兄ではないのです。
システムを作った彼は、そのシステムをばら撒いていわば代理戦争の状態を作り出すのです。
そして「ライダー」は「互いに殺し合う」ことをその条件とされ、「最後に生き残ったものに望みをかなえてやる」といいながら、その実、その兄は「生き残ったライダーの命を妹に与えるために奪おう」と考えているいう、とてつもないエゴに基づいた作品です。

さあ、こんな物語が果たして「子供だまし」の一言で切って捨てられるようなものなのでしょうか?
何でもかんでも、恋人との甘いハッピーエンドや家族愛で終わろうとするハリウッドの姿勢のほうがよほど、馬鹿なもの、
それこそ「子供だまし」に見えませんか?


ア、なんか取っ掛かりにした窪塚を置いてけぼりにしてるなぁ。
まあ、あえて付け加えれば、
彼の復帰第一作は、和製ブラピとして「12モンキース」並みの怪演を期待して、「怪奇人間シリーズ」のリバイバル作品の主演なんかどうかなー?ってとこです。
いま、リバイバルブームなんだし。