サムライチャンプルーはよくできた萌えアニメ

テレビ大阪の萌えキャラ「たこるくん」

旧来の名作とされる時代劇、剣劇作品の、どこが良いとされてきたかというと、
問答無用の「権威」、根拠不明の「強さ」、そしてプロセスを省略した「勝利」、などなどの、デティールを切り捨てた・・・もとい超越した点である。*1
そしてまた、その評価は、それらの、いわばカリスマ的、宗教的な熱狂を、視聴者、観客が共有していたことによる。
さて、製作スタッフや前評判などを聞いて、少しく期待していながら、深夜枠に合わせる体力も、毎週録画するというマメさも発揮できないまま、今まで何とはなしにスルーしていたのが、この『サムライチャンプルー』というアニメである。
レンタルビデオ屋からキロメートル単位で隔絶したこの山腹の僻地で、どうやってそれを見たのかという疑問はさておき、*2
さ  て  お  き  、
とりあえず、一話から三話までを見てみた。
が、しかし、
ヒップホップに合わせて時代劇「風」のキャラ、そして映像が展開するノリのいいOPに、「反して」という程でもないのだが、
だが、
かろうじて話を貫く「人探し」の動機があるのは、ヒロインだけ。しかも、それもかなり薄弱。主人公の二人の男は目的もなく、理由もなく、強いだけ。そして、かなり無意味に人を切りまくる。
なにかこう、時代劇、サムライショーをヒップホップサウンドに合わせて動かしてみたかった、そしたらカッコよくなると思いました、というようにしか見えてこない。
これって、もしかして、
というか、やっぱり、
「よくできた萌えアニメ」という以上でも以下でもない作品なのではなかろうか。

しかし、先にあげた、古典的時代劇の評価ポイントも、よく考えてみれば実に記号的だ。
すなわち人物設定や、登場人物の正義の理論的背景、実力の根拠、物語上の因果律などというものをすべて、「主人公だから」のほぼ一言で片付けてしまっていたところを見ると、
「時代劇」という定型そのものが、萌え要素で出来上がっていた、ともいえる。
だとすれば、この『サムライチャンプルー』が、問答無用で、根拠不明で、そしてプロセスを省略していたとしても、それは決して、この作品がすでに劣化が始まってかなり経つ「萌えアニメ」に類するものだというのではなく、時代劇の「伝統」にのっとった「正統的」な作品だということなのかもしれない。


一言で言うと、あんまり面白くないということなんだが。
かつての植民地的文化人類学が垣間見える『マクロスゼロ』のほうが、ある種、「時代劇」として面白い。プラス、ロボットアニメとしても、映像としても面白い。



私信toグソマ
アニメ夜話』がみつかりません・・・

*1:えらそうに言ってますが、そんなに見てない

*2:まあ、引っ越す前からそうなんだけど、前は一応平地だったので。