mixiはやっぱりネオ・マーケット

ソーシャルネットのビジネスモデルが見えてきた?――「mixi」の今
あたりまえのことだけど、「インターネット」というものはそれこそすべからく企業が絡んでいる。
そして、その中にある「サービス」というものが、いかに「無料」であろうとも、結果的に付随する何がしかの「利益」がそこにはある。それがなければ、そもそもそんな「サービス」は発生しないわけで。
つまり、なにが言いたいかといえば、タイトルどおり、「mixiはやっぱりネオ・マーケット」なんだということだ。
そうなんじゃないかということは、「ソーシャルネットワークという疑問」「ソーシャルネットワークについて」で前にも書いたけど。
また、こういう同じような疑問を抱く人は、やっぱりほかにもいたらしい


このmixiの「サービス」とは、「知人を介したクローズドで親密で安全なコミュニティ」なフリをした、つまるところ「マーケットの卵」であったわけで、
比喩的に言い換えれば、mixi住人はわざわざ他人の「狩場」にせっせと自分の財産たる羊をただで送り込んでいたというわけだ。
はじめはタダという甘い文句につられて。


それでもある人たちにとっては、楽しい、居心地のいい場所になっているように見える。
それは何かといえば、マーケットの一部として機能している人なのだと思う。
ミクシイの中に、IT系やマスコミ系の仕事をする人が異様に多いのは誰しもが気づいていることだと思う。正直言って、それ以外の人を探すほうが難しいのではないか。
あるいは、「ママ」という仕事、つまり育児中の20代・30代女性というカテゴリに属する人も多いのではないだろうか。「ママ予備軍」まで含めればそれはあながち外れてもいないはずだ。これに関しては、マーケットを支える、あるいはマーケットを支えるべき世代を育む層の人々である。

さて、それが結局なんなのかといえば、前者は、自分の仕事に近い人たちから知見を得ることでもって、それをフィードバックすることが可能であるし、また、仕事の需給関係を気づいて行くこともあるだろう。はたまた、こういうことをしている・こういうものがでますよ、という口コミ的な広告媒体としての性質も果たしているはずだ。
なんにせよ、マーケットそのものたる彼らにとってミクシイに存在することのメリットは少なからずあると思われる。
対して後者はどうか。
専業かどうかを別にして、子供を持った「ママ」、つまり母となった人は、「否が応でも未来に希望を抱かざるを得なくなる」。
なぜならというのも言わずもがなだが、自分の子供が生きてゆく「これから先の不確定な時代」に対して、何がしかの希望を抱くことがなければ、それを育てようということになど到底ならないだろう。
つまるところ、どういうことになるかといえば、この「ママ」たる人々は、「恐ろしく純粋なマーケットの下僕となる」ということだ。
ポイントは、「いやいやではなく、自ら進んでそうなる」という点だ。
これから先の「幸福」のために今の足場を固めようとマーケットに貢献し、また、その子供にまつわる「投資」をし、そして「家族サービス」という名の消費に積極的になるのだ。
前者を「主導的マーケット」だとすれば、この後者は「受導的マーケット」だということができよう。
しかして両者は、共に「主体的」という点において同じである。
主体的になにをするのか。


マーケットに貢献するのである。