ハムレット(浅田百合子)

一言評:「スタイリッシュなイメージ」に先行逃げきりされた「僕娘」。
つまり、なんかイメージに置いて行かれてる、追いつけてない!追いつけてないよ!的な*1悲壮感が漂うちょっとイタイ演技でした。
このハムレット造形における一番大きなミスは、やはり一人称を「僕」にした点ではないだろうか。「私」で十分、十二分ではなかったか。
「悲劇の王子」というイノセンスなイメージにふさわしい一人称として「僕」が選ばれたのだろう。そして、それを女性が演じることによって、サブカル的、ビジュアル的スタイリッシュさ、そしてある種の倒錯的な演出を狙ったのであろう。*2
しかし、女性が「僕」を叫ぶということが、また別の問題をも引き起こす結果となってしまっていた。
それは、一人称「僕」に対する必要以上の過剰な声の張り上げようだ。
女性が「僕」を名乗ることに対して、何か「必要以上に男性的な声を出さなければいけない」という強迫感から声がでているのではないか、という印象を感じさせてしまう「発声」であった。
その結果、観客は「肩に力が入りすぎたハスキーな叫び声」を「全編を通して」聞かされるハメになり、
そして、そのハスキーな叫び声が演技ベースになっているがために、セリフの喜怒哀楽の強弱の落差、イントネーションの落差がほんとんどなくなり、
ハムレットは、いつも何か転がりながら「ウワウワワワワワ・・・」と叫んでいる役だというような印象が残ってしまった。
セリフも多くて大変だったろうに、これではとても報われてない。

結果的に、ハムレットがでれば出るほどあくびが出る→→→眠くなってしまう→→→にもかかわらず当然のことながら主役なので舞台に登場する頻度と時間は長くなる→→→眠くなるという、いかんともしがたい悪循環を作り上げてしまっていた。

これはいただけない。だって主役ですよ?もう少し何とかならなかったものだろうか。連日の熱演でのどを痛めて声の調子が悪かったのかもしれないが、
何も女性が男役を演じるからといって、「男性的な声を出す必要はまったくない」のである。「声を男性的に張り上げる必要はまったくない」のである。素直に腹から出る声で「僕は」といっていればよかったのだ。
「あくびする 横目に「熱演」 ハムレット」ってところだ。

*1:そして、追いつかなきゃ!追いつかなきゃ!!的な

*2:事実、ポスターの出来はよく、実物比30%で美しかった。惜しむらくは、いい方のデザイン、「剣を振り下ろしたハムレット」のポスターが、販売されていなかったということだ。あっちが売ってたら「確実に買って帰った」のにですね、主要キャスト集合的なポスターなんて私のような一見さんにゃ魅力ないのですよ、そこの小劇場の人。