【2005年8月】

「孤性」というセクシャリティ〜「恋愛」の三つの層から見て〜
一応、「モテ」「非モテ」に変わる、第三極的呼称を考えてみたつもりだったのだが、あんまり反応がなくてちょっぴりがっかりしたのはここだけの秘密のこころ。
最近だと、「避モテ」とか「ティモテ」とかでて来てるしね。
やっぱ、「モテ」の二文字をはずしたのが敗因か。
それとも、もう少し個人的体験を交えたほうがよかったのか?あんまりベタベタした話書くのも重いんだよね筆が。


嫌韓流へのクールな反応と、美術についての一言
スーパー高校生のWIKIにリンクを張られたお陰で以って、毎日少し、ときおりわんさか人が音連れるエントリに。
つか、今のこのご時世で「文化がない」発言ってのはいい加減にどうよ???小林亜星かお前は。「文化」の名指すものが、「伝統文化」と「文明の利器」という差異はあるが、そもそも定義の不確実なモノに対して、その有無を一方的に声高に叫ぶというのは、それ自体愚かなことだ。


日常に潜む「死のアスベスト空間」
21世紀の公害、アスベストが潜むごくありふれた「日常の風景」。スーパーやショッピングセンターにご用心。
最近では、小学校や駅なんかにもガンガン使われていたことがはっきりしだしてきており、こりゃ、あと15年もすれば、またガタガタっと日本人の死亡率ってのは上がるんじゃないかなと思われ。


「まじめさ」という病理と「惰性」という社会性
実感に裏打ちされた、静かなる怨嗟の声。そして、それが共感を呼ぶ。誰がその身を剥ぎ取るのか。誰しもがそれを剥ぎ取られるのだ。この日本の中にある「世間」という地獄の中で亜は。


「若さ」という機能不全――若さ!若さって何だ!?――
もはや、若者といわれる世代の人間であろうと「なんとなく」生きることが許されない時代。「そのうち何とか♪なる〜だ〜ろ〜う〜♪」で生きてきた先行世代との精神的確執は避けられないものと思われる。


人気ブログ発、ベストセラーという安直さ
もともと人気のあるブログをそのまま本にして売り出して、編集者がデカイ顔をすることへの違和感の表明。
ぶっちゃけ、負け犬の遠吠え。


「他力」という「悪」
ひとびとに徐々に与えられた「ゆとり」が、ひとびとを知的格闘ではなく、無謬性信仰という「癒し」へと誘導したのか。思考・調査・判断。あらゆるものを打ち捨てて、自らの外にある何かへと頼り切るその様はまさに仏教用語に言う、「他力」だ。
この「他力」こそが、日本に近代を根付かせなかった諸悪の根源的要因ではないのか。
――つまり、仏教こそが、日本にとって最も害毒となった思想ではなかったか。
すべての問題をこの世の内からあの世の果てへと、美しく葬り去る。


今こそ言おう、「仏教死すべし」。


2chコピペ「脱オタに立ちはだかる壁〜美容院という現実〜」
悲惨な体験とその裏側にある厳然たる市場主義的な差別の存在を語るコピペと、自らの美容院体験とそれへの対策を重ね見た記事。
一言で言うと、「散髪屋で十分!!」
身につまされる内容のためか、個人ニュースサイトでの第二次カウンタ暴走回転の端緒となった。


デジタル粉塵爆発
意味:個人ニュースサイトからのリンクが、時々刻々と連鎖反応的に増えていくのに合わせ、カウンターが劇的に回転数を記録する現象。来訪者の絶対数が増えるのと同時に、好ましからざる客も増えることとなり、春夏冬の三大休暇期間には「厨」とよばれるコメント者も多く現れる。


「コミュニケーション」の脱神話化
はてブ経由で見た、新書『帰ってきたもてない男』への書評を交えた「コミュニケーション」について考察する、すばらしい記事への言及エントリ。
まさに、

今現在、世間にWebに吹き荒れる、「コミュニケーション」信仰に対する、「脱神話化」へのクリティカルな一撃。

だが、同時にこうも感じるのだ。

そもそも、この「コミュニケーション信仰」の中に、「コミュニケーション」は不在ではないのか、という思いを。


不特定多数からの犯罪は、不特定多数へと還る
罪は罪としても、かわいそうな気がしてならない。
この両親は、いったい何を思って結婚し、そして子供まで作ったのか。


宗教右翼の「ふしぎな」動き
統一教会の「純潔教育」思想の罠にはまる「恋愛弱者」の姿が指弾されていたので、逆にその宗教右翼的主張である純潔教育が、いったい何をもくろんでいるのかについて考えみてみた。
やっぱり迂遠だなあ……しかもまぬけ。


「モヒカン族」という「信じてフューチャー・限界チャレンジャー」
はじめからうすうす感づいていはいたのだが、コメントのやり取りでわかったのは、やっぱり、ネットの「アカデミズム性」に対する双方の認識がズレていたのだということ。
私の意見では、「「モヒカン族」は、アカデミズム的思考様式をネットという非アカデミズム的な場において体得するプロセス」、と見たのだが、トラバ先では「アカデミズム的作法を体得した人間がネット利用をすることが「モヒカン族」」、としていたということ。
トラバ先がいい人だったので、ネットの歴史の勉強になった。


大人社会のロールプレイングゲーム
この記事はフィクションであり実在の人物とは一切関係ありません。あと、ブログを見るときは画面からはなれて見てね!


分かってないのは誰?
東京新聞の記者の書いた、上海のスナックでの日本人駐在員の男と中国人のホステスとの会話を皮肉った記事。
登場人物ごとの、ケーススタディ・コメディタッチ。


■20万ヒット記念企画〜人から出されたお題をテーマにブログを書いてみる〜
もうね、絵に描いたようなスーパーウルトラグレートデリシャスワンダフルずっこけ企画。
ああ、ゴメンナサイごめんなさいィ……。
しかし、たとえどんな恥さらしなエントリであっても消さない。それが俺のジャスティス