「非モテ=誘い受け」理論

非モテ男性の天然誘い受けっぷりはすごいな。誘い受けというか雛鳥が口を開けてピィピィ鳴いているような受身っぷり、だけど私あなたのお母さんじゃないし、そもそもあなたは雛鳥じゃないじゃない。私は自分が好きでもない男の愚痴を聞く気はさらさらないので遠巻きにバードウォッチングで済ませます。構ってあげている人は偉いな……。
http://d.hatena.ne.jp/oya03/20050702

類似のものとして挙げられているのが、こんなタイプ↓

「でも女」
彼女は具体的なアドバイスなんか欲しくなかったのだ。恋愛相談という形を取っていたけれど、「片思いに身を焦がす自分」に共感しひたすら話を聞いてくれる人が欲しかったのだ。

なるほど、「非モテ」には「でも女」同様の、フラストレーションの発散という面は確かにあるのではと思う。*1
それ*2が自らの神経過敏さから生まれた、過剰な有形無形の視線のプレッシャーによるものだとしても。
……そのプレッシャーも真実、「神経過敏さ」で済ませられるような妄想的なものであればいいのだが*3、具体的な殺人光線として照射されている面もあるから始末のつけにくい厄介なことはなはだしい。*4


ブログで「非モテ」話が盛り上がりやすい原因ってのは、
フラストレーションの発散の欲求を抱えたまま、自らのプライドに関わる話をもちかける相手も無くもてあましていたところに、彗星のごとく現れた救いの場(アジール)にも似た効果を持っているからか。
どんなに大声で放言しようとも、上にあったような特定の相手に迷惑をかけることも無く、むしろ、この手話が芸風として許容されるといった雰囲気がある、といった点は、人一倍、他者からのプレッシャーに敏感で、他者へのプレッシャーにも敏感な「非モテ」にはもってこいといったところか。


プレッシャーをプレッシャーのままに楽しんでしまうというのが、「非モテ」発話の醍醐味なのかもしれない。


……だからといって、プレッシャーに対して不感症になったが最後、風呂要らずの汗まみれでケミカルジーンズなリュックにビームサーベル装備の「キモオタ・ルック」という極地へ至りがちなのは、なぜなのだろう。
――ある意味で彼らは全身で叫んでいるのかもしれない。「何かがおかしい」と。
違和感の表明を違和感の創出でもって、成しているということか。


やはり、「「恋愛という軸」以外の場所に成立するセクシャリティ」というものが確立されていないことがその一因としてあるような気がする。


であれば、
そろそろ、「非モテ」という語には有効期限が来ているのかもしれない。

*1:そう思う。

*2:被迫害的フラストレーション

*3:いいのか?

*4:抵抗策の一つとしては、まず雑誌を読まないことだ。