「既得権」のシェアリング?
「いま人々が感じている不安は“中流生活からの脱落”という不安だ(山田昌弘)
悪いがそのアイデアは、20代の希望のない正社員から、さらに希望を奪うことにしかならない可能性が高い。老人が目先をつけるのは、常に弱いものからだからだ。奴隷のうちで最も切り捨ててもかまわないと思うところから切り捨てていくからだ。
そして、現在「既得権」をもっているのは第一に当の老人だ。
――ここで言う老人とは、ジャケットにワイシャツ、スラックスに身を包んだような老人のことを指す。十分な財に恵まれ、家族にも恵まれ、そして、十二分に「物質的豊かさ」を堪能した上で、若者に「精神的豊かさ」を押し付けるような、そのような手合いの老人のことだ。
まさに、こういう物言いがその端的な例だ。
「バカラシイ。寅さんはそんなもん、ひとつも持ってなかったぞ。」
お前は、公共事業でアスファルトの道路が作られた後に、一人で泥道に作り直せというのか!?
お前は、この夏クーラーを一度たりともつけなかったとでも言うのか!!??
お前は、もはやパソコンスキルがなければ、ハロワの求人募集にかすりもしなくなる事を分かっていて言っているのか!!!???
!!!!!!ええ?このクソ隠居老人が!!!!!!
その重い重い「既得権」が「蓋」となって社会を覆い、若者を押しつぶしているのだ。「社会」のことなら何でも知っていると自負するエライ御仁も、いざ自分のこととなると開きメクラになるらしい。
そして、またひとつの「既得権」を持っているのが、バブル世代だ。この世代は子供を持つことで――次世代の奴隷を作ったことで、老人から免罪され、そうそうに「既得権」を失わないこととなっている。
あきれるほどに無能な人間が首を切られないのは、子供という名の次世代の奴隷を抱えているという事実でもって、免罪されているとしか考えられない。
ここでも若者に対する重い蓋が重ねられている。
一体、「誰」の、「どれ程」の、「既得権」を分かつべきなのか?
――老人は分かっていないのではない。
知っていて、苦役を与えることに喜びを感じているのだ!!
「若さ」とは、老人にとって、それだけで許すべからざる「罪」なのだから――。
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同じようなことをクールに言うとこうなりますというお手本。
60年間安定の中を生きた高齢者の大群という歴史上類の無いもの