「脱オタ」から「脱オタク差別」へ〜天満唯さんとこへのコメント〜

お疲れ様でした。>天満さん


だた、これからなされるべきが「差別撤廃運動」だとするならば、端から「弱者だけが立ち上がるのは限界がある」といってしまうのではなくて、そしてまた、必要なのは「敵方の協力者」ではなくて、まず「自意識の確立」じゃないのかなと思いました。


それがまあ、先の「モテツールとしてのオタク」で出てきた奇妙なターム、「セクシャリティ」の意図するところであった問題なのです。


そう、アメリカにおける黒人差別撤廃運動のスローガンであった「ブラック・イズ・ビューティフル」といったようなスタンスをとることによって、
ネタではなく、腹の底から「オタク・イズ・ビューティフル」あるいは「非モテ・イズ・ワンダフル」と主張することによって、
初めて、被差別主体としての「オタク」なり被差別主体としての「非モテが、社会の中の差別構造の主体として浮かび上がってくるのではないでしょうか?


もしこの「オタク差別=黒人差別」という、視点が有効であるならば、現在の「非モテ」議論における一大コンフリクトポイントである「媚」の問題も、それがなぜ「問題」とされるのかという点が、明らかとなるのではないでしょうか?