ユートピアとしての商店街

id:demian高齢化社会のことを考えると、お年寄りが歩いていける距離に店があるのも大事なように思うのですがねえ。この前NHKでは木更津で大型店が無くなった後にお年寄りをターゲットにした歩いていけるところにあるスーパーを作ったところ繁盛しており、また店の側に介護サービスや古着のリサイクルショップが出来たりという話を取り上げてました。


そのへんの視点が残念ながらR30さんには抜けてるなあと。若い世代向けの店でも規格化されたショッピングモールの店舗よりも手作りの店の良さが感じられる店もありますし、ってumetenさんちに書くことではないですね。すいません。

id:p_shirokuma松本市はがんばってると思う。市街地の商店街がまだ生き残ってて、しかもどんどん変わっていく。街の真ん中のパルコとかとうまいこと合体して、ショッピングエリアを創り出してるですよ。時々松本に買い物に行くけど、郊外店と見事に差別化を果たして、郊外店には無いおもしろさを提供しています。


でも、松本以外にはあんまり例を見たことがないなぁ。


>demianさん
確かに、お年より向けのサービスという点では商店街型のウェットなコミュニティというものが有効なのでしょう。
あるいは、今「地域」に期待されている監視社会的な機能を活性化するという意味においても、商店街の「活用」に利はあるのでしょう。


しかし、それもまた近視眼的なものなんじゃないかと思うのです。


だって、老人社会が来るといっても、最長であと15年のスパンしかないですよ?
まあ一口に言うほど短くはないですが、老人のためだけを考えた商店街は、老人の減少とともに衰退するでしょう。


また、監視塔としての商店街にはハッキリ言って反対します。
そのような「世間」的ウェットさは、それこそ人を殺します。


恣意的な判断に基づく「不審」のレッテルが「生き生き」し、そのような「不審」な格好をした人間に対して差別・偏見に満ちた対応をとることが、「自然」なものにされる。
はたして、このような空間の中で、コミュニケーションストレスからこぼれ落ちた人間が生きていけるのでしょうか?
買い物すら真っ当にできないのでは?


ま、ちょっと大げさな視点だとは思いますが。


>シロクマさん
そですね。そういう集客力のある大型店舗との差別化を図った上での共存というスタイルが、トレンドなのかと。
成長期に乱立した郊外の過疎化(ひいてはスラム化する?)みたいなことも言われてますしね。
市街中心回帰的な都市計画論については、前にクローズアップ現代でもやってましたかしらん?


ただ問題は、そのような生活圏を維持するためのコストについての社会的合意が形成されるかということでしょうか。
つまり、「地域」的な生活圏を維持するためには、個人商店で割高な商品を買う必要があるということです。


不況が常態化する中で、そのようなコストを払える余力が一人一人に残っているのかどうなのか。
お金のある人は、まったく違う消費構造の中に飛躍するようなことが推奨される現状では、現実的問題としてユートピアとしての商店街を生み出す「コスト」は、誰が払うのでしょうか?


誰が払えるんでしょうか?