素直さの強制は批判の抑制

「年下が批判するなどおこがましい!黙って従え愚か者!それが「社会」だ!」
――老人の決まり文句だ。


何が「社会」だ。お定まりの奇麗事の上っ面の上澄みを取り上げて何が「社会」だ。


時系列的に先行することが最善かつ最良であるとするこの思考は、つまるところ、遅れたものは全て劣ったものである、間違ったものであるという結論に落ち着く。


だが、それがどういう世界観を生むものかはまったく意図的に無視されている。


つまり、時系列的に先行することのみが善なるものだとするのなら、今より未来の世界は悪くなるしかないということである。
成長だの発展だのというのは、地獄への転落を生ぬるく言い換えたものにしかならないことになる。
この世界観を持つものにとって、生まれ来る子供は全て悪の因子なのだ。
年若い者は、それだけで邪悪な存在なのだ。


この世界観を持つものにとって、オヤジども老人どもにとって、未来などハナから存在しないのだ。
永遠の現在の維持・保持・固持こそが、現実なのだ。「社会」なのだ。


新しいものは全て悪いものなのである。
――自らが利益を得られない限り。


いったい自己中心的なのは誰なのか?
「社会」のことを考えず「自分」のことしか考えていないのは誰なのか?
「自分」の気に入らないものに、気に入らない存在に「理解できない」と言い放って、「理解する必要などない」居直る老人に長をつとめられているこの国はいったいなんなのか?


故に、思考を否定する。故に、批判を拒絶する。


素直であれ、素直であれ。自分と同じようでいろ。そうでなければ消えうせろ。


老人の老人による老人のための善なるセカイを守るために!!








インスパイヤ・フロム・羨望は無知 - なぜ『青少年有害論を説く彼ら』はこどもの事を信じられないのだろうか?