北田暁大の「男性学」(2004年のもの)

Kawakita on the Web:北田暁大×張學錬「バックラッシュの男性学」概要メモ(前半

北田氏の立場はリベラリズムフェミニズムに対しても共感的。80年代以降語られてきた専業主婦と働く父というモデル家族を選びたい人は選べばいい、そういうものが嫌な人は別のモデルを選んでいい、という出来る限り選択肢を開いておく立場であり、すべて自分の「趣味」であって他人に押し付けるべきではなく、特定の「趣味」を社会的な制度で固定的に過剰に保護するのはどうかという立場であるとのこと。これはある種のフェミニズムからは批判されうる立場でもあるとのこと。

自分の選択肢が数ある選択肢の一つであると相対化されることに腹が立つ人がかなりいるようだとのこと。専業主婦が問題なのではなく専業主婦が制度化されていることが問題と認識しているとのこと。制度は多くの人の価値観・選択が互いに尊重されるような公正なものであるべき。

70年代にオイルショックがあり、80年代に従来の家族制度を将来的に維持することが困難になっていくことが認識され始め、80年代に作られた配偶者特別控除もそれへの対応だったといえる。この制度は今年度から廃止されることが決定したが、なんとか「男は外で仕事、女は家事・育児」という体制を維持しようとしたのが80年代であったとのこと。90年代以降は抜本的に経済的・社会的に改革しなけらばならない状態に来ているのは実感の通り。このような状況とフェミニズム・男女平等の理念がたまたますれちがった瞬間に女性の雇用促進という考え方がでてきたとのこと。戦後の日本の社会制度の中で出来てきたモデルを優遇していくということはもうなくなっていくと考えているとのこと。バックラッシュ派は「趣味」として専業主婦を選択しても問題ないと相対化されると、天下国家を支える基盤なのだと反論をしてくるが、専業主婦を前提とした企業・経済・社会の体制はもう立ち行かないというリアルな側面から考えても後戻りは出来ないとのこと。

またフェミニズムが主張してきた女性の生き方・ライフコースを開いていくことが重要とのこと。大学で女子学生を見ていると、生まれてこの方女性差別を受けて意識してきたという人は結構少なく、その壁として最初に突き当たるのがやはり就職活動とのこと。ここで女性に対して社会に壁があることに気付く人も少なくないと感じているとのこと。北田氏は彼女等にジェンダーの問題というのは、差別感を感じている/感じていないという「意識」の問題ではなく、制度の問題としてライフコースが相当制限されていることを解除していこうとすることあ男女共同参画社会の定義なのだと言っているとのこと。北田氏はジェンダーの問題を文化論的に語るよりも経済的・社会的問題であることをまず踏まえることが重要だと主張していた。社会を設計していくときのハード面を考えては初めて差別意識の問題も解消されていくのではないかと。

バックラッシュ派がとるフェミ・ナチ批判―敵を外部に作り・単純化し・いかにとんでもないかを示す手法―は昔左翼がやっていた手法なので、バックラッシュ派のお里が知れるとのこと。


Kawakita on the Web:北田暁大×張學錬「バックラッシュの男性学」概要メモ(後半)

北田氏は大学に入った頃はフェミ・ナチ批判をするような保守主義者だったとのこと*1。上野千鶴子氏の本を読んで「逆差別」ではないかと主張したり、伝統を変えようとすることは設計主義だと批判したり、フェミニズムは生産中心主義的な近代思想である、とか主張していたとのこと。専業主婦があたりまえの生育暦と中高一貫教育の環境と、当時は朝日新聞社会党に代表される市民派への反感を持っておりそれに対抗するために、近代家族を自明視してしまっていたのだろうとのこと。

昨今のバックラッシュ現象は、北田氏の昔の思想遍歴に似ていると感じているとのこと。主張内容ではなく市民派人権派の姿勢・ノリに嫌悪感・距離感を持っている人が多くなってきており、その反対の価値観に飛びつかせているのではないかとのこと。実は右でも左でもなく、左派的なものへの嫌悪感であり、中身ではなく形式が気に入らないのだろうとのこと。

男女のギャップ
団塊ジュニアの女子の状況を考えてみると、この世代は団塊世代が両親で最も近代家族主義的な雰囲気の中で育ってきた世代であるのが、近代家族主義的な価値観がそのまま残っている男子と比べて女子の意識は大きく変わってきているとのこと。そのギャップが本音の部分で埋まらない限り結婚できない男性が増えてくるであろうとのこと。

つまり男女共同参画社会基本法は制定目的からして、女性の地位向上のために制定されたわけではないとのこと。最初から人口減少による労働力人口減少に対応するために、できるだけ移民を入れないで解消するためには働いていない人を働かせるしかないので、男女「共同参画」というものをもってきたというのが実情ではないかとのこと。

鈴木氏曰く、私的な領域をどう考えるかが問われているとのこと。戦後の日本の社会民主主義的な制度は私的なことにかなり口出しをしていて、ある特定のモデル的な生き方には援助を行うということを企業社会中心でやってきたのではないかとのこと。国家が企業を保護し、企業が個人の生活を担うということを高度成長期以来行ってきており、その中にリプロダクティブ、つまり子供を産むということが産業の支援の一環として組み込まれてきていたという一種の総動員体制と理解することができるとのこと。福祉国家モデルが財政破綻などで崩れてきた70−80年代に、それまで国家が面倒をみてきたことを、個人の領域として任せて、国家が組み込まないことを私的なこととして任せてきた歴史があり、それが端的に現れているのが経済・雇用問題であるとのこと。

伝統的思考とネオリベラリズム的思考にどう抵抗するか
鈴木氏曰く、解決策として
①もう一度国家が全面的に面倒をみるパターン
②個人にすべて任せるパターン
③地域で家族にかけられている過大な負担を分散するパターン
が考えられるとのこと。

北田氏曰く、あえて制度と文化にわけてみると、制度の中にはフェミニズム的な考えが徐々に組み込まれてきており、バックラッシュがあろうが後戻りし様がないとのこと。ネオリベラリズムの問題もあるけれども、まず男女が働きたいと思ったら働ける社会にまずすることが大切だとのこと。まず女子の就職問題が解決することがメルクマークではないかとのこと。文化的にはバックラッシュ的な言説がある程度流通している中で、社会調査を企画しているとのこと。おそらく若い人ほど保守派とは考え方が違うという戦後日本の常識は崩れてきているだろうとのこと。その層にフェミニズムの問題をどう考えるか語りかけたいと考えているとのこと。