集合知と集合愚―あるいは日本的なるもの

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<まとめ>


  「集合知」=多様な結末を前提とした「議論のプロセス」。


  「集合愚」=議論により導き出された「単一の結論」。


「日本的に正しい会議」が「事前の根回し」と「意見調整」による「唯一の結論」によって成り立っていることを考えると、それこそまさに「集合愚」の典型例であるのだとわかりますね。


参加者のメンツとプライドを保つためだけに開かれる会議ってステキですよね。


ハンコつく紙すら惜しいわ。オチが決まってんならメーリングリストで済ませろ。


対して、「集合知」となるものはというと、結論が重要なのではなく「議論のプロセス」にこそ価値があるというもの。


それを「多様な意見の創出」だと考えると、それこそ本来、会議に求められている機能なわけで、目新しさはない。
しかして、もはや会議という場でそれができないからこそ、こうして新しい言葉でもってネットという新しい場へと期待を持ちかけられているんだろう。








P.S.
「集合愚」という言葉の響きからどうしても巨神ゴーグを思い出してしまう人はいませんか?