「日本がおかしくなった」理由?

体外受精≒高齢出産≒不妊治療のリスク調査がようやく始まったらしい。

京都新聞電子版 体外受精児、初の追跡調査 本年度から厚労省
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007052200023&genre=A1&area=Z10


 厚生労働省は22日までに、体外受精が子どもの成長に及ぼす影響を検証するため、生まれてから6歳になるまでの健康状態や発育状況を把握する初めての追跡調査に本年度から乗り出すことを決めた。

 体外受精は晩婚化に伴う高齢出産や不妊夫婦の増加で年々普及。2004年には国内で約1万8000人が生まれた。同省は約8000人の調査対象者確保を目標に、体外受精で生まれた子の親に協力を求める。先天異常の有無や、年齢ごとの知能、精神の発達状況などを各医療機関から国立成育医療センター(東京)に定期的に報告してもらい、集まったデータを同センターで一元管理することを検討している。

 調査を担当する同省研究班の主任研究者・吉村泰典慶応大教授は「生殖補助医療は妊娠で終わりではなく、生まれてからが始まりだ。長期的に観察し、出生児への安全性という視点から医療の在り方を提言したい」としている。(共同通信


これこそ未来の社会にとっての重要なニュース。
いや、過去から現在に続く「今の社会」が省みるべきニュースか。
「日本がおかしくなった」理由というには、体外受精はあまりに少数派的に見えるが、では新生児医療という枠に広げてみた場合にはどうなるか?
大多数の「普通の人々」にとってもいっさい他人事ではなくなるだろう。
もはや高度成長期以降、「出産は病院でするもの」なのだから。
「病院で生まれた」ことが、その後人生を大きく左右していたのだとしたら。
それが、多大なる実害の後になってわかってしまったとしたら。
乳児死亡率の低下がはたして、その乳児に社会的幸福をもたらすものであったのかどうか。


ここで語られるべきは「妊娠で終わりではなく、生まれてからが始まりだ。」ではなく、「出産で終わりではなく、生まれてからが始まりだ。」のはずだ。


生殖補助に限らず新生児医療そのものに対して同様に、あるいはそれ以上に、それが悲劇の始まりであるという疑いを持ってまなざすべきだろう。


「新生児医療によって救われた命が、はたして社会的にも救われていたのかどうか」という隠されていた問題があらわになる、のか。