橋下徹氏のADHD的側面について

◆ だめな弁護士は書面が分厚い? - 弁護士・未熟な人間・今枝仁・・・裁判員になる皆さんの刑事弁護への理解のために - Yahoo!ジオシティーズ
http://beauty.geocities.yahoo.co.jp/gl/imajin28490/view/20080223/1203756017


◆ だめな弁護士は書面が分厚い?
と、橋下大阪府知事がおっしゃっているそうです。
私との民事訴訟橋下徹氏の答弁書は、約90ページでしたが・・・
代理人弁護士としてではなく当事者本人としてですから、例外なんでしょうか。
最近、憲法学者との論争などを見ていて、橋下知事は、わざと自らへの批判となる内容を発言し、「自分つっこみ」して、批判の毒気を抜いているのではないか、と思ったりします。
周囲が批判したいことを、自らが先に言っちゃっているので、「本人も矛盾くらい分かって言っているのかな。」と、煙に巻かれちゃう感じです。
だとしたら、かなりの高等戦術です。


高等戦術?いいえ、症状です。

ADHDの自己突っ込み−意味不明な人々
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20080109/ADHD_


ADHDは自分にも人にも一番きつい突っ込みを入れるのだ。世間も厳しいが、それ以上にADHDの自己突っ込みは厳しい。
ジャイアンは人にだけ厳しくて、自分のことには話をそらしてり誤魔化したり、時には病気になったりして目を向けようとしない。表面上は自己突っ込みをしているとはとても見えないだろうが、実は(少なくとも私の場合は)自分の突っ込みが一番きついと思う。
(略)
ADHD(特にジャイアン)のACの極端な自己評価の低下や、ADHDがずばずば言ったときの歯に衣着せぬ発言、時には強迫症状などがこの自己突っ込みに関係していると思う。

ジャイアンと受動型ASと自己愛性人格障害−意味不明な人々
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20080121/_AS_


ジャイアン(自己正当化型ADHD)と受動型ASと自己愛性人格障害は似ている。正確に言えば、私は自己愛性人格障害というのは実際にはほとんどジャイアンと受動型ASの人(を発達障害と違う角度から見たもの)ではないかと思っている。
人格障害」とは成人期に「病気」や「環境に対する反応」でなく、「性格」としてあるというわけだから、発達障害は当然そう診断されうるだろう。

ジャイアンの「面倒を見たい」衝動−意味不明な人々
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20080123/1


合理的なADHDが実にさっぱりと「人にこだわらない」(例えば嫉妬心が無い等)のに対し、ジャイアンは特にASの人に対して「放って置けない」「離れられない」「引き寄せられる」感情が確かにある。
私はジャイアンとASの違いについて診断分類を突き詰めて考える作業の中で、この感情(衝動)について考えてきた。
現段階の結論は、これは「面倒を見たい衝動」とでも呼びうるような衝動である。いくつかの複雑な感情が入り混じって、渾然一体となったような非常に複雑な感情だ。
この衝動には、?好奇心、?仕切りたい(コントロールしたい)?守ってあげたい、?依存したい、の各側面があり、なおかつ「このうちのどれか」だろうと特定しにくい特徴がある。
(略)
またジャイアンは「仕切る」ことが好きで、簡単に「行動が読めない」相手を見るとコントロールしたくなる。
(略)
本質は「依存」でありながら、相手の世間的な不器用さをサポートする名目であったり、一見ACとも見まごうような「おせっかい」であったり、好奇心で弄くり回したり、ジャイアンのこの衝動は非常に強く、複雑で「ぐちゃぐちゃした」ジャイアン独特の行動様式を形作る重要な要素となっている。

ジャイアンACは褒められるのが怖い−意味不明な人々
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20080201/_AC_


ジャイアン褒められると相手の意図を問わず表面的に舞い上がって調子に乗ってしまう。表面的な世界に生きる悲しい性だ。そのせいで、例えば「いい嫁」と言われたら「本人の主義とか性格に関係なくいい嫁たるようにがんばる」ということになる。

ADHDから見たAS−意味不明な人々
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20080202/ADHD_AS


私は最近ADHDの非常に大事な本質は「自己突っ込み」であると考えている。自分の中にもう一人非常に厳しく自分に突っ込み容赦なく批判し続けるもう一人の自分がいる。
ジャイアン(自己正当化型ADHD)の場合には、ADHD流に「責任」や「言える立場か?」などの自己突っ込みには自己中心的な自分が実際に反するところが多いために、またジャイアンの部分の突っ込みは一番でなければそれだけで突っ込まれるので、いずれにしても基本的に自分を責め続けることになる。
(略)
例えばASの人に多い「一方的な被害者的発言」はADHDなら一瞬後に自己突っ込みで「自分には非は本当に絶対にまったく無いのか?」ということになるので、とても出来ない。
ASが「同じことをADHDである自分が口に出そうものならば、一瞬後に半端じゃなく自分を責め立てることになる」ような発言をして、その後も自己突っ込みをしているように見えないだけでかなり腹が立つのだ。「そういうあんたはそんな偉そうなことを言えた柄か?」というのがADHDから見てどうしても理解が難しいASの一面である。

理解不可能なことの理解−意味不明な人々
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20080204/1


ADHDは空気が読めない(状況理解が出来ない)が、「自分が空気が読めない」ことは理解しており、その結果「多数派には分かっているのに自分だけは分からない非常に重要なことが相当多くある」ことを感じながら成長する。
その結果、多数派と違うことがあると、当然その(空気が読めないという)自分の欠点が原因でその食い違いが生じると考える。こうして自己評価が下がる。
ADHDの自己突っ込み」はそういう認識から生じており、「自分には分からないけれど多数派から突っ込まれるのではないか」とありとあらゆる突っ込み、批判の可能性を想像しまくって「この点が自分の欠陥であるのではないか」と自分自身の問題点を考える。
本当の意味では多数派の「空気は読めていない」のだが、「多数派と同じ意味で空気を読まなければならないと必死で努力を続け、見当はずれでも近付こうと努力を続ける」というのがADHDのACの姿だ。

依存型ジャイアン−意味不明な人々
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20080210/1


ジャイアンは先天的に「自分に有利か不利か」「その場で誰が一番力を持っているか」を察する直感を持っている。その後の環境で、どのようなスタイルをインストールするかで現実的なあり方がさまざまに変わる。
依存型ジャイアンは、この「特殊な空気を読む直感」を極限まで研ぎ澄ますことによってジャイアンの好きな「仕切る」ことを実現する形で成長していくのだろうと私は想像する。
具体的には、典型的なパターンは、「情緒的に相手の弱みをつく突っ込みで相手を黙らせる」技術のプロになるという感じだ。もちろん逆におだてたり取り入ったりすることも長けていく。
(略)
「その場だけ自分を否定するようなことを言いかけた相手を黙らせれられればいい」というのがジャイアンの自分勝手な(しかし非常に切実な)都合だ。「窮鼠猫を噛む」的な状況でこの力を発揮する。
だから表面的な出来上がった姿は、「境界例」「自己愛型人格障害」と一見非常に似通ったものとなるだろう。

嫉妬と妬み(ねたみ)
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20080216/1


嫉妬はないが、妬み(ねたみ)はある。ほかの人が表彰されたり、褒められたりすると、醜い姿を告白すれば、決して喜べない。その人が不幸になるようなファンタジーにふけったりする。おそらく普通のADHDは、素直に「よかったね」と言えるだろう。
ジャイアンは人には本当の意味では関心がないが、「自分が評価される」ことにこだわる。だから嫉妬はないが妬み(ねたみ)はあるということになる。


どう見ても……と思うのは俺だけか。