2、「フェミニズムなき地」である(とまなざされる)、「韓国」へのオリエンタリズム的視点

これは、「韓国ドラマ」の中で描かれる、というよりは「ドラマ」によって描かれる、形成される視線によって、まなざされるものであることは注意しておかなければなりません。
現実には、韓国には「女性省」なるものも存在し、決して「フェミニズムなき地」などではないのです。しかし、「ドラマ」内で展開されるそれ――「韓国」は、かつて日本に存在し、そして現在失われた、「楽園」としての「らしさ」の世界=男女に明確な区分がなされた世界であると目されています。
「近くて遠い国」だとは、よく言われることです。遠いからこそイメージ=表象が形作られることは、よくある話です。何も国や民族に関したことでなくても、メール相手、文通相手を理想的に想像するということも、この一種です。そして、そのイメージは近づくことによって、実際の様子を知ることによって、訂正されていくのが常です。
しかし、ことこの問題に関しては、近い事が逆に、イメージを「補強する」ものとなってしまっているのではないでしょうか。たとえ、「ドラマ」をきっかけに実際の韓国へ行ったとして、どれほどの人が、韓国をまなざしているでしょうか。きっかけとなった、「ドラマ」の「現実性」あるいは「現実感」(リアリティ?)を確認して、「韓国」というイメージの「補強」をしてしまうといった方が、圧倒的なのではないでしょうか。
もちろん、現実の韓国の姿を見る事が出来る人も大勢いるでしょう。そして、その時には必ずしも美しいものばかりではないということに気づくはずです。だからといって、それを否定してしまえば、「韓国」だけをまなざす姿勢と変わりなくなってしまうのですが。