ファティマ第三の予言

「ファティマ」といえば「第三の予言」、と阿吽の呼吸で答えるべき、オカルト世界の基礎知識中の基礎知識である。
1917年に起きた奇跡によってもたらされた「聖母マリアの三つの予言」の内、その「三つ目の予言があまりにも衝撃的なもの」であったため秘密とされ、長い間さまざまな憶測を呼んできた。
なにせ、一番目の予言が「第一次世界大戦の勃発」、二番目の予言が「第二次世界大戦の勃発」であったからである。さらに、その「第三の予言を伝え聞いた法王が卒倒した」というまことしやかなうわさまで流れていたのだから。
が、2000年に発表されたそれは、いささか拍子抜けするものであった。*1
それが以下の記事である。

「ファティマの聖母の予言」最後の秘密 「法王暗殺未遂」だった!【法王庁が発表】
 
【ローマ17日=西田和也】ローマ法王庁はこのほど、六十年近く封印してきた「ファティマの聖母の予言」をめぐる最後の秘密について、一九八一年に起きた法王ヨハネ・パウロ二世(79)の暗殺未遂事件を暗示する内容だったことを初めて明らかにした。「世界の終末の黙示」などと様々な憶測を呼び、ミステリー作品の題材にもなった秘密の公表は、欧米キリスト教社会で大きな反響を呼んでいる。

 この秘密は、一九一七年にポルトガル中部ファティマで、牧童らの前に姿を現した聖母マリアが幻影で示したとされる三つの予言の一つ。うち二つの内容は①続行中の第一次大戦の戦禍に類似した「地獄」の明示②共産主義の台頭と第二次大戦のぼっ発−などと伝えられてきたが、残る第三の予言については、一切、伏せられてきた。
 ファティマで十三日行われた法王による列福式典で法王庁のソダノ国務長官は、この秘密が「白装束の聖職者が十字架に向かう途中で銃弾に倒れ、死んだように見えた」幻影だったと発表。八一年五月十三日法王がバチカンのサンピエトロ広場で銃撃され、ひん死の重傷を負った事件の暗示だった、との解釈を示した。
 第三の予言は、聖母出現に立ち会った一人で今も存命の修道女によって文書化され、封筒に納められた状態で四三年にバチカンに渡った。以後、現法王を含む五人の歴代法王が秘匿してきたため、開示を拒む理由や内容をめぐる論争が絶えなかった。
 法王は、「聖母のメッセージを正しく伝える」として公表に踏み切ったが、全容に関しては「適切な解釈」を用意してから開示するという。
 公表を受け、法王庁のおひざ元のイタリアなどでは聖母の予言に改めて関心が集まっている。「(今回の公表まで)暗殺未遂事件後二十年近く要したのはなぜか」「未公表部分にはキリスト教会に都合の悪い内容が含まれているのでは」などと新たな疑問や憶測も生まれている。
 一方、法王狙撃実行犯でイタリア国内で服役中のトルコ人男性(終身刑)は公表後、「私に銃を握らせたのは悪魔の仕業だ」と語っているという。
(読売新聞5.18(木)朝刊)

暗殺程度のことで卒倒するものだろうかと、不信心ものの仏教者*2としては、かなりいぶかしむと同時にその真偽を訝ったのだが、
結局、この「秘密」が守ってきたものの正体とは、法王の聖性と権威に対する信仰の強度であったのだろうか。

*1:もちろん破壊的終末の予言だったりしたら目も当てられないのだが

*2:ええ、いいんですよ不信で。うちは「信不信を問わず」ってな宗旨ですから。